日野ボランティア・ネットワーク 山下弘彦さん(鳥取県日野郡日野)【#連載73】

「日野ボランティア・ネットワーク」コーディネーターの山下弘彦さん。九州男児の人生を変えたのは鳥取大地震。

(取材・文章 土山 博子)

 

【今回の元気人】
山下弘彦さん
「日野ボランティア・ネットワーク(ひのぼらねっと)」
コーディネーター

「日野ボランティア・ネットワーク(ひのぼらねっと)」
鳥取県日野郡日野町根雨130-1
日野町山村開発センター2階
TEL(FAX兼用)  0859-72-2220

平成12年10月6日午後1時30分。

山陰を震撼させた『鳥取県西部地震』が起こった。
マグニチュードは7.3。

阪神・淡路大震災後初めての大地震とあって、住民の不安と恐怖は計り知れない。

思い出すのは、真夜中に鳴り響く、余震発生警告の防災サイレンの不気味な音・・・。

戦時中ってこんな感じだったのかなぁ・・・と、皆眠れぬ夜を過ごした。

今回は、その地震を境に人生が一変した男性の物語。

本当に、運命っていうのはわからないものである。

旅の途中で地震に遭った・・・

お誕生日のプレゼントづくり

鳥取県日野郡日野町は、岡山県・島根県との県境にある山あい町である。
人口は4200人。
高齢化が進み、人口の35パーセントは老人である。

「大学のときの友達が一度遊びにきたんだけど、あまりの田舎でびっくりしていました。
イメージでは岸本(鳥取県伯耆町)あたりの、あの程度の田舎を想像していたらしくて。
しかもそいつは海沿いの出身なんで、山がせまってきて、ソワソワして落ち着かないと言ってましたよ」

そう笑うのは、山下弘彦さん。
日野町で活動する民間のボランティア団体『日野ボランティア・ネットワーク』のコーディネーターである。

山下さんは鹿児島市の出身である。
今でも実家は鹿児島にある山下さんが、遠く離れた山間の町でボランティアとして活動をしているのは何故か。
そのきっかけは、6年3ヶ月前のあの日。
鳥取県地震の時に遡る。

「あの地震の時、ちょうど旅の途中で米子にいたんですよ」

大手出版社を退職し、一人旅の途中だった。
米子で地震に遭遇し、その一ヶ月後、隠岐の島を旅していた時のこと。

「隠岐にいる時に、日野町でボランティアが足りない、というニュースを見たんです。
 地震後一ヶ月たってボランティアの数が減り、人手がたりない・・・と聞き、じゃ、
ちょっと旅の途中だし、行こうかな、と・・・」

実際にこの地震の揺れも体験し、恐い思いもした。
身近にも感じていたので、短期間滞在する予定で日野の町にやって来た。
その時はまだ、この日野町が山下さんの人生を大きく変える存在になるとは、誰も思ってはいなかっただろう。

ボランティアの経験はまったくなかったという山下さん。
最初にやったのは、倒壊した屋根のブルーシート貼り。
一ヶ月ほど手伝い、その後一旦日野町を後にしたが、そのあと、調査や報告書作成で、行ったりきたり・・・。
そして地震の翌年の7月から本格的に日野町に落ち着くことを決意し、現在に至る。

「よく取材とかで、『移住』と言う書き方をされるんだけど、移住じゃないんですよね。
ただいるだけ・・・。居ついた、というのだったらあってるけど・・・」

当初は、社会福祉協議会内の日野災害ボランティアセンター(現在は日野ボランティアセンター)で活動していたが、その後、ボランティア仲間で『日野ボランティア・ネットワーク(ひのぼらねっと)』という団体を設立した。

県内外を含めて40人くらいで構成されているが、当時の県外メンバーで、この地に残っているのは少数。
ほかの県外メンバーは、何かの折に手伝いに来てくれたり、メールで情報のやりとりをしたりしている。

震災を機にここにとどまったということは、何かこの地に感じるものがあったんですか?と聞くと、山下さんは少し困ったように笑った。
「本当は何かあったって言わなければならないんだろうけど、何もないんですよ。
 ただ、次々とやらなくちゃいけないことができてきたんで」

震災を糧につくる地域の財産

田舎での農作業は楽しい

日野ボランティアネットワークでは、毎月その月に誕生日を迎える高齢者の方に、誕生日プレゼントを持って訪問する、という活動を行っている。

午前中にプレゼントをつくり(毎月違う団体に協力要請)、午後から訪問する。
小中学生の子どもたちも一緒に参加する、ひのぼらねっとの名物活動だ。

「駅前とかでは子どもを見かけるけど、ちょっと山に入ると子どもを見かけない集落もあります。
自分の孫さんでも、顔を見られるのは、年に数回。
だからよその子でも、訪ねてくれることが喜ばれるんですよ」

多くの大人や子どもたちにとっても、ボランティアに関わり、地域とつながることができるいい機会だ。

「2年くらい前、小学校4年くらいの男の子が、訪問先のおばあさんが這い歩きしていたのを見て、ものすごいショックを受けて帰ってきたんです。
どうだった?と聞くと、その子は『言葉にできません・・・』と言いました。
今年、6年生になったその男の子が『もし何かできることがあったらお手伝いがしたい』と言ったんです。
子どもが、大人の困っていることを理解できる。
『寂しい』というお年寄りの声や、今の地域の状況を生で聞ける。
自分たちが暮らしている地域がどういうところかってことを、いいことも悪いこともふくめて体感できることは、子どもの成長にもつながります」

そして訪問された高齢者の方も、喜んで受け入れてくれることで、子どもを一緒に育てていることになっていると山下さんは言う。

「おととしの豪雪のときに、お年寄りの一人暮らしの家をたずねて、『誕生日の時に訪問しているボランティアです』と言ったら、雪かきに困っていることをうちあけてもらえました。
地域活動は信頼関係が大切です。関係づくりができていることが前提」


地震の後の訪問活動で、この町は高齢化が進んでいて、みんな暮らしが大変だということがよくわかった。

災害があった時に助けようと声をかけても、遠慮するお年寄りは多い。
ボランティアでも、知らない人は警戒される。
そうすると、なかなか復興進まない・・・。

災害は起きない方がいいが、次に起こった時にはもう少しスムーズに支援できるのではないか。
そのために地域をつなげる。
そんな思いで、毎月プレゼントを届ける。
ひのぼらねっとの活動には、常に地震の時に得た教訓が活かされている。

「起こったことはしょうがないじゃないですか。
ただでさえ高齢化が進んで大変な町に災害まで起こって・・・と嘆くのは簡単だけど、そのときに築いた関係をつなげていけば立派な財産になりますしね」

しんどい地域でもやれること

「鳥取県西部地震 展示交流センター」を開設

平成18年10月6日には、鳥取県西部地震 展示交流センターを開設した。
鳥取県西部地震等の写真や資料を閲覧できたり、被災体験を語り合うサロンの役割も持つ。

地震から6年、災害を風化させないためもあるが、それ以上に、どうやって災害を礎にして防災にいかせるかという思いが強い。

キーポイントはやっぱり、地域のつながり。
地域で普段のつながりがないところは、ひとりひとりが能力を持っていても、それが発揮できない。

「災害が起こった時に、自分が訪問したあの足の悪いおばあちゃん、大丈夫かなぁ、と思うことが大事なんです。
知識とか情報は大事だけど、心配するという気持ちがないと、人は動かない。
そういうのって文化ですよね」

県外のボランティア関係者に、「日野の活動は桃源郷のようだね」と言われた。

「『そんなことはないですよ、毎月毎月ジタバタやってなんとかやってるぐらいのもんです』と言ったら、『でも、そういうしんどい地域でもここまではやれるってことだよね』と言われたのが、すごくしっくりきていて。
金がない町で高齢化もひどく進んでいて、若い人もあまりいないし、ドタバタですごい理想的な形ではないかもしれないけど、そこにたまたま集ったメンバーで、これだけのことができる・・・。続けられる限りは続けることが大事かな」

4年前からは不登校や引きこもりの若者を集めて農作業をする事業も開始した。
月のうち10日から15日くらい、出る習慣をつけたり何かをする習慣をつけるために、若者たちが集まってくる。

米子から日帰りで来る人もいる。
人口も少なく、老齢化も進んでいる日野町では、若い人材も必要である。
若者たちも、買い物に行くことのできないお年寄りの手伝いをすることもあり、そんな経験を通して地域とつながっていく。

「気分的に全然ちがうと思うんですよ。外に出て、ボケッーとした所で農作業をして・・・。
本人が好んで引きこもってるならしかたないけど、結構みんな何とかしたいと思っているじゃないですか。
そうだったら、こういう場を提供して、ハードルを低くして、世の中にでる助走期間をつくれれば・・・と思っています」

派手ではないけど、きちんと根付かせていきたい

「今やってるのは、具体的な活動でありながら、意識改革っていうかね、それをやってるんだよなぁ、と思うんですよね」

山下さんは言う。

「今までに知ってる人同士が助け合える関係はできていても、これからは知らない人同士でも助け合える関係をつくっていく・・・。
ましてやそれに子どもという世代間のことまで考えると、これは長期戦になるなぁ、と。
打ち上げ花火をあげて、かっこよく『こういうのやってます』って言うのは簡単なんだけど、だいたい立ち消えちゃうじゃないですか。
派手ではないけどきちんと根付かせていく、ということは文化をつくるっていうことなんですね。
だから長い目で考えなければいけないし、色あせてもいけないから、そこにいろんなしかけをやっていくって形でやらないといけないと思うんですよね」

震災は、どこの地でも決して歓迎されるものじゃない。
でも、「転んでもタダでは起きなかった」日野町。

地震を機に、外部から吹いてきた新しい風が、これからも地域の原動力の中心となって、さわやかで力強い風を巻き起こしていくことだろう。

今、確実に日野町は変わろうとしている。


◆お知らせ!!

「鳥取県西部地震 展示交流センター」では、現在『豪雨水害と土砂災害 復旧・復興支援写真展』を開催中(平成19年7月27日まで)


◆山下さんより

「今年も雨の季節になりました。近年は集中豪雨となりやすく、空梅雨であっても油断ができません。

人的被害を最小限に抑えるには、日ごろからの備えと早期の避難が大切。
心構えをしておくためにも、写真展を企画しました」

ぜひ、お出かけください~vv

平成19年6月13日取材

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