松江市城西児童クラブ指導員 高島 智さん(松江市)【#連載79】

松江市城西児童クラブ指導員、プレーリーダーとして、子供たちと過ごす毎日、また家庭では家事と子育てをする若きお父さん、新しい時代の若者像を取材した。

(取材・文章 tm-21.com)



【今回の元気人】 
松江市城西児童クラブ指導員
プレーリーダー

高島 智(たかしま さとし)さん
(昭和48年12月18日生、米子市出身)
ホームページ 子どもの遊び場から発信「遊房(あそぼう)

 高島 智 さん 34歳

 赤いジーンズにしわしわのシャツ、真っ黒な少し長めの髪、いまどきの若者像そのまんま、34歳には見えない。大きな声でよく笑う人だ。

生年月日を聞いた。少し考える。
「記念日って興味ないんですよ。」
誕生日は特別な記念日でしょう。
「相方の誕生日を忘れて、しかられました。子供が生まれて、誕生日って大切だと思いましたよ。」
変わったことを言う人だと思った。

 昭和48年米子市に生まれた。小学校4年生の12月父親が他界した。父親は病気で入院しており、あまり父親の記憶は無いという。また、4年生の12月になくなったので、小学校4年生の思い出は記憶から飛んでしまっているそうだ。父親の記憶とともに、封じ込めてしまっているようだ。子供心にはあまりにもショックだったのだろう。

 男の子3人兄弟の末っ子、お母さんの苦労がしのばれる。

 この頃から、料理は得意だったようだ。小学生、カレーライスを完璧に作ってみんなで夕食に食べたというから、すごい。母からは、自分のことは自分でする。自分のことは自分で決める。そう教えられていた。

 島根大学で児童文化研究班に入った。子供会活動にかかわっていく。この動機がかわいい女子大生が参加していたからというから、笑ってしまう。動機が不純なほどがんばれるのか、その後も児童クラブでのバイトが続く。夏休み、毎日自転車で島大の寮から古志原まで通い続けた。

 そんなこんなで、忙しく卒業が大変で、就職活動をする暇が無かった。卒業はしたものの、職は無く米子に帰った。お母さんきっとがっかりしただろう、お母さんの苦労がしのばれる。

児童クラブ

ジャングルジムで元気に遊ぶ子供たち 

 米子に帰ったものの、相変わらずのバイトくらし。このままでいいかと悩んだすえ、置手紙ひとつで松江に戻ってきた。大学の同級生だった奥様のもとへ転がりこんだ。奥様のそばにいたかった。これが本音だろうと思う。
お母さんは何も言わなかったらしい。

 松江に戻ってから、レストランでのバイト生活、先輩からサービス業を叩き込まれた。そして、先輩に誘われて、別のレストンへ行った。「毎日、朝から夜遅くまで、必死に働きましたよ。」
昨今、ニュースでも話題になったみなし店長、そんな待遇も不満も言わず働いた。しかし、ちょっとしたトラブルから解雇されることになる。「人間不信になりました。」それから半年、引きこもりの生活をした。

 「ひきこもり」実は2度目だ。中学生、不登校の時期があった。
部活での人間関係がうまくいかなかった。不登校になり、米子市の児童文化センターに入り浸っていた。
母も児童文化センターの職員さんも、何も言わず受け入れてくれた。

ずいぶん、良い人たちとめぐり会ってますね。
「子供の頃から母に言われてました。あなたは、周りの人たちに助けられているのだよと。」

 ハローワークに行った。正社員として就職が決まりかけていた。何か違うと断った。ハローワークの出口で求人広告が目に留まる。

城西児童クラブ職員募集、これだと思った。

 スーツを着込んで面接に向かう、そのまま半日子供たちと遊んだ。
大学時代のバイトがそのまま仕事になったのだ。「子供たちと遊ぶ仕事がしたい。この根底には米子児童文化センターでの体験があると思います。」と言った。

 それから、10年指導員として活動している。最初は学校近くの民家を借りていた児童クラブも、学校の敷地の中に移転し、入所児童も60人となった。
最初の5年くらいは、今から思うととんでもないやつだったという。保護者は無視、挨拶もしない。ただただ、子供と遊ぶ。

 変わったのは、子供が生まれてから、子育てをして、母親の苦労がわかった。

主夫業

楽しい屋外での鍋 

 子育ては、ほんとに大変なこと、経験者として言える。
高島さんは、子供が出来たとき、自分が子育てをするから、奥さんには今のまま働くことを勧め、二人で話し合って、決断した。
女性の立場で考えると、不安とそんなに甘えてよいのだろうかと迷った末の決断と想像できる。

 こうして、高島さんの子育てが始まった。もともと、家事は出来る人がやる、お互いに兼業主婦(主夫)というのが高島家流だった。そこに子育てが加わった。高島さんは、そんなふうに考えていたらしい。しかし、育児はそんなにあまくはなかった。

 ちょうど、奥様の産休が明けて、仕事に復帰し9ヶ月がたった頃、1年間遅番の仕事、帰宅は夜中になっていた。
この頃の赤ちゃんは、昼夜が逆転したり、夜なきがひどかったり、そして夜中の授乳とオムツかえ、寝る暇も無いくらいである。
高島さん育児ストレスに悩まされた。

 女性なら、母親や同世代のお母さん達と情報交換やおしゃべり、相談と様々なコミュニケーションがとれるところだが、高島さんはお父さん、きっと相談する場所も無かったことだろう。それに男の人は、一般的に相談したり愚痴を聞いてもらうことがヘタであろう。
子育てと児童クラブの仕事、精一杯だった。一人でストレスを抱え込んでいた。奥様からの「片付けてくれればいいのに」の一言に傷ついた。奥様の目を見て話すことも出来なくなった。

 考えた挙句、奥様にメールを送った、正直な気持ちを伝えることにし、二人で朝まで話し合って、乗り越えた。

 「がんばってるね。ありがとう。」の一言ですべて解決するのにね。「そうそう」と高島さん。
これって、奥様どうしの会話ですよね。
この経験から、児童クラブの保護者に対しても、対応がかわってきた。「皆さん、がんばっているとわかったんですよ。」
こんな経験できる男性も少ないことだろう。

 二人目のときはどうだったかと聞くと、奥様は会社に頼んで遅番をやめさせてもらった。高島さんも、二人目は慣れてきたせいか、順調に子育てを楽しむ余裕が出来たようだ。

「僕達はとっても楽をしている」そう話した。お互いに、男性・女性という区別無く、出来ることをやっています。とっても楽に生活しているんですよ。
周りの人たちは、どう見ているかわからないけれど。たとえば、保育園の先生は、急な発熱などで子供を迎えに行くのは、ほとんど高島さん「お父さん、大変ですね、がんばってますね」と、よく言われますが、それが一番都合が良いからなんですがね。と話す。
まあ、周りがどう思っているかなど、関係ないようだ。

ちなみに、子供はどんなときもやはり、お母さんがいいんでしょうときくと、「そうなんですよ。」
悔しくないですか?
「いいえ、とんでもない。お母さんのところへ行ってと清々してますよ。」

これから

水遊び、子供は大好きです! 

この10年、子供たちと接していて、変わったと思うことはありますか?
子供は、何も変わりません。周りの環境が変わっただけですよ。
 自分は、子供の遊んでいる姿が大好きで、遊びに、夢中になれる環境を作ってあげたい。

少子化の時代、大人たちは一人の子供に期待と関心がより大きくなっているようだ。子供に競争することや勝ち負けをつける事をさせたがらない。他の子どもと同じということに安心し、特に自分の子には常に周りと同じポジションを取らせたがる。リーダーも下っ端もさせたくない。一列横並びの子供たち。そんな話題で意見が一致した。
いったい、いつからこうなったのでしょうね。

高島さんは、子供たちと接していて、大切にしていることがある。
 子供と、1対1の関係を作ってあそぶ。
 いろんな子供たちがいる、元気な子・おとなしい子・男の子・女の子・甘えん坊などなど様々な個性の子供たちだ。
 子供たちと向き合うとき、自分という人間は変わらないが、それぞれ子供たちの個性によって、1対1の関係はすべて違ってくる。

なんだか、ちょっと難しい話になった。
ひとりひとり、いわばオーダーメイドの関係性を作っていくようだ。
これって、子供たちにとっても大人にとっても、気持ちの良い居場所になるだろうなと感じた。
しかし、大変だろうなあ・・・・・。
 

元気が一番! 

 マイナスの経験をすることが大切だ。

失敗しても、出来るだけ見守っていく。もうこれ以上は無理だというタイミングで大人の出番。
子供たちは大人を信頼し尊敬できる存在とみてくれる。
そんな、子供と大人の関係作りを考えている。

 これって、大切なことですね。
しかし、失敗しそうになっても、手出しを抑えることは難しい。自分の子供のことは特に、走りよってしまいます。

 この姿勢は、10年間変わっていない。
ただただ遊んでいた頃、自分が始めた遊びが学校の中で広まっていた。
遊ぶことについて、考え始めた。様々な勉強を始めた。そして、思いを言葉にして、伝えることを始めた。
児童クラブの指導員として、プレーリーダーとして、研修会・勉強会の企画を提案しプロデユースしている。
研修会などをとうして、様々な人たちとの出会いがあった。

 さて、これからどうするのですか?

 子供たちとかかわる仕事は自分の行くべき道だと感じている。
どんなかたちでやっていくのかは、まだ自分には見えていないという。
しかし、きっと心の奥底で少しずつ形になっているのだろうと感じた。

 物事を正面からきちんと受け止め、自分のやるべきことをやっていく。
世間体など気にせず、自分の道をつまづきながらも進んでいく。
とてもすがすがしく、元気のいい青年にあったという思いが残った。

 高島さん34歳、この人の10年後楽しみでもあり、とっても期待している。

高島さんのホームページ 子どもの遊び場から発信「遊房(あそぼう)

  

平成20年1月30日取材

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