加納美術館(島根県安来市広瀬町布部)【#連載78】

安来市広瀬町布部にある、小さいながらも備前焼コレクションが充実していると聞いて加納美術館を訪ねた。
加納美術館(島根県安来市広瀬町布部)理事長 加納二郎さん、奥様・佳代子さん、館長 小藤 貢さん 

今回の元気企業

加納美術館(かのうびじゅつかん)

加納 二郎 理事長(S17年生)(写真右)
加納 佳世子さん(S19年生)(写真中)
小藤 貢 館長(S23年生)(写真左)

〒692-0623  島根県安来市広瀬町布部345-27
TEL 0854-36-0880  FAX 0854-36-0881
ホームページ
http://www.art-kano.jp/

小さな美術館

4月5日おりしも、安来市では「ひなまつり」が開催中、この日は最終日だった。
広瀬の町では、各家々の玄関先でおひなさまやお花がかざられ、見物客でにぎわっていた。

白壁に黒瓦、蔵のような建物は、山あいの緑豊かな風景に溶け込んでいる。
加納美術館でも、お祭りを開催中で、隣接する交流センターにはおひなさまが沢山飾ってあった。家族や子供達、みなさん楽しそうにくつろいでいる。
美術館まえに川沿いの桜は満開、せせらぎはぽかぽか陽気に涼やかだ。

加納二郎理事長さん、小藤 貢館長さんに館内を案内してもらった。

第1展示室はこの美術館の顔のような部屋、創設者加納溥基の父、加納莞蕾の絵や書をはじめ、古備前・楽焼・彫刻などが展示してある。

初代楽長次郎の黒茶碗、時代をへて黒が墨色にも緑がかった色にも見え、内側をのぞくと使い込んだようすが素敵なものだった。
日本中探しても、数点しか存在しないめずらしいお宝なのですよ。
手にすっぽり収まりそうな小ぶりな茶碗、黒なのに暖かそうな様子、手におさめてみたい気がします。

古備前の水指、ゆったりどっしりした水指は桶のような形ながら、少しゆがんでいて押しつぶしたような様子が、ユーモラスでありかわいいものだ。
備前焼の硬い岩のような冷たさではなく、ほんわかした印象はこの水指のオーラなのか、時代をへた味わいなのでしょうか。

なんでもこの水指は、一度盗まれて戻ってきたそうだ。
この美術館にご縁の深い品なのでしょうね

加納美術館,安来市ひなまつり

写真上:加納美術館全景 右隣は布部交流センター
写真下:当日は「安来市ひなまつり」が開催中

備前焼の魅力

第2展示室は備前焼の部屋、備前焼人間国宝5人の作家と岡山県指定重要文化財15人の作品が収められている。
備前焼についてご紹介します。皆さんよくご存知と思いますが、備前焼は日本六古窯(瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽・備前)の中でもっとも古い窯。
釉薬をかけない焼き締方法、原始須恵器の流れを汲む自然と火の融合によって生み出される素朴な焼き物。室町時代からの茶道の流行と共に繁栄し、桃山時代秀吉の庇護の下開花していく。

金重陶陽の作品は、細工物と呼ばれる布袋・獅子などの置物や香炉などが沢山ある。この方は、明治時代に入り茶陶や細工物は大名などのスポンサーがいなくなったことや、実用陶器では、瀬戸などで大量生産が始まり衰退していく備前焼を昭和に入り繁栄に導き中興の祖とよばれる。桃山時代の備前焼の美をよみがえらせた方である。

そして、藤原 啓 藤原 雄親子の作品、山本陶秀・伊勢崎淳などの作品群、見ごたえがあります。

同じ備前焼でも、割り木の灰が付着しゴマ粒を振ったようにざらざらした胡麻・赤い線描き模様が入ったような緋襷(ひだすき)、まるい模様がでる牡丹餅(ぼたもち)など、色も黒から赤までなんと多彩なことか、これだけ沢山の人間国宝の作品を見比べることが出来ることは、贅沢この上ないことだと、うれしくなった。

蔵品の古備前 「矢筈口福耳水指(銘 福の神)」(写真提供:加納美術館)

蔵品の古備前 「矢筈口福耳水指(銘 福の神)」(写真提供:加納美術館)

加納美術館の歴史

ちいさな美術館が、なぜこの山間に出来たかお話しないとわかりませんね。

1枚の写真が目に付いた。田んぼの真ん中にわらぶき屋根の立派な家が上空から写されている。加納家だ。この家の主、加納莞蕾(本名辰夫)は明治34年布部に生まれ、本郷洋画研究所に学び、前田寛治・佐伯祐三などと交友し影響を受けた。
二科会から独立美術会を経て、中国へ従軍画家として渡る。油彩・墨彩・書の卓越した作品が高く評価されている。

加納莞蕾の息子加納溥基は事業で財を成し、生家のあった場所に加納美術館を創設した。莞蕾の作品を集めた展示館は、生家のあった場所、そして太い梁は元の家屋のものを使っている。墨彩画と書が沢山展示してある。

大きな屏風絵は墨彩で、柿とざくろが色鮮やかにダイナミックに描かれている。
沢山の鮎が群れている掛け軸は、三隅町にある石正美術館の学芸員さんが偶然立ち寄り、絶賛したという作品、墨の濃淡で描かれた鮎の群れは、イキイキとして水の清らかな流れを見て取れる。ひれには鮎の美しい黄色がほのかにさしてある。

加納溥基は父親の作品を展示するため、この美術館を創設した。同時に、地元の作家、また中国地方の備前焼と日本画を蒐集していった。
布部地域のために、交流センターを隣接し、グラウンドゴルフ場も作った。雇用の場ともなっている。

地域に愛される美術館を願った加納溥基は、2008年4月急逝し、相次いで11月には奥様も亡くなられた。このとき、看病や葬儀でこの地に滞在していた加納二郎、佳世子夫人は、地域住民の厚い願いの下、美術館の運営に携わることとなった。

写真上:来館者に館内説明をする加納理事長,写真下:ご自宅で奥様もご一緒にお話を伺う。

写真上:来館者に館内説明をする加納理事長
写真下:ご自宅で奥様もご一緒にお話を伺う。

理事長 加納二郎さん、奥様・佳世子さん、館長 小藤 貢さんのコンビ 今春より島根大学学生に

丁寧に説明してくださる、理事長さん。理事長に就任して3ヶ月、大阪からIターンしたばかりだが、とてもわかりやすい説明にはビックリです。

理事長さんは、数ヶ月前まで、大阪府箕面市に在住し、製造業一筋のサラリーマン。定年後は夫婦で海外旅行を楽しみたいという、悠々自適の生活を夢見ていた。

地域住民の願い、そして何よりこの小さな美術館を後世に残していくこと、これは大きな命題だった。30年先もオラが町の美術館として残していくことに、心を動かされた。

奥様佳世子さんは、13歳まで布部の加納家で育った。
佳世子さんは、教員として働き、定年後は大学講師をしていた。ご夫婦の話からは、芸術も美術館も縁のある話は出てこない。

また、この頃、布部小学校校長を退職した小藤 貢さんは館長に就任、美術館はまったく初めての3人が経営することとなった。

何しろ、何もわからない3人は、とにかく美術館の勉強をしようということになった。
3人の素人さんは、この春から島根大学で学芸員の勉強をするため、法文学部学生となる。3人いれば、誰か一人は出席できるでしょう、ノートをとってまわせば、何とかなるでしょう。3人で一人前ですからと笑った。
島根大学法文学部教授に3人でご挨拶に行った。団塊の世代の学生の挨拶に、若い教授は深々とお辞儀をしてくれたと笑い話だった。

写真上:ひな祭りイベントで自らドーナツを揚げる加納理事長, 写真下:多くの子供たちでにぎわう体験工作 

写真上:ひな祭りイベントで自らドーナツを揚げる加納理事長

写真下:多くの子供たちでにぎわう体験工作

美術館活性化戦略

加納溥基の地域に愛される美術館との思いは、継承されていく。
理事長は、様々なアイデアを駆使している。大阪でサラリーマンとして培ったノウハウと人脈が生かされていくことだろう。

この地に来てまだ3ヶ月、しかし隣接するグラウンドゴルフ場で高齢者の方々とは毎日談笑し、結構顔見知りになったそうだ。理事長のこの明るさと元気さは、見習いたいものだ。

美術館の隣には、交流センターが併設されている。小藤館長は交流センター長も兼任している。
交流センターといえば、生涯学習施設、地域住民や子供達が楽しく学べる場所だ。
この日、ひな祭り会場ではテントの中で、木の実や小枝、竹などを使って小さな動物やキーホルダーを作る、工作教室が開催されていた。

講師さんは、理事長さんの知り合いが大阪からやって来ていた。また、地域のおじいちゃんが、竹細工などを教えたりと、しっかり生涯学習と子供広場が出来ていた。
理事長さんは、定期的にこのような教室を開催していきたいと話してくれた。
地域の人材もしっかり見つけていることだろう。これから、ミュージアムサポーターを育てていきたいという思いを語ってくれた。

今回掲載の元気企業データ

法人名 財団法人加納美術振興財団
加納美術館
所在地 〒692-0623
島根県安来市広瀬町布部345-27
代表者

理事長:加納 二郎(S17年生まれ)
館長: 小藤 貢(S23年生まれ)

開設 1996(平成8)年
業務 美術館
連絡 TEL 0854-36-0880 
FAX 0854-36-0881
ホームページ  加納美術館

 

平成21年4月5日取材

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