かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん【#連載90】

2012年10月28日
「笑う門には いい介護」をテーマに、日本一笑顔があふれた施設にしていきたい!と介護・福祉で活動する中村さん。
 かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん

今回の元気企業

中村 学さん(昭和38年生)

会社名 有限会社ドリームシステム
居宅介護支援事業所 
かじ山荘 デイサービスセンター
施設長
〒694-0052 島根県大田市久手町波根西1941番10
TEL 0854-84-7158
かじ山荘公式ホームページ
http://www.kajiyamasou.jp/
ブログ 「笑う門には いい介護」
http://warakado.wordpress.com/
facebook
http://www.facebook.com/manabu.nakamura.980

元・よしもとピン芸人 中村 学さん

 1963年12月24日生まれの48歳、大田市出身。
とっても面白い人と聞いたので、早速職場のかじ山荘デイサービスセンターへ会いに出かけた。

 ドアを開けると赤いTシャツ姿の職員さん達、いっせいに「いらっしゃいませ」。
大きな声で挨拶してくれた。 ここは居酒屋かあ?

迎えてくれた中村さん、にこやかな笑顔、少々メタボなおじさんなのだ。

子供のころからのひょうきん者、とにかく人を笑わせることが好きだった。
小学生、幼馴染の同級生 宮根誠司(フリーアナウンサー)さんとつるんで、面白いことを考え、遊んでいた。かつらをかぶって驚かす。口紅塗っての女装。二人で漫才。などなどあげればきりが無いという。おもろい悪がきだった。

高校卒業後東京へ、大学に入ったものの勉強はせずに役者志望、大学は中退した。
プロダクションに入り、TVや舞台にチョイ役で出たものの、売れなかった。
1994年、大坂のよしもと興業が大々的に東京進出してきた。
オーディションを受けて合格、よしもとのピン芸人となった。
同期には ペナルテイー ロンブー ココリコ など、みんなものすごい勢いで人気ものとなった。 

芸名は? 本名のままですよ。・・・・・(オーラがないなあ)・・・・・。

2年間頑張った。 大田市の実家に帰る事になった。
まだまだ、芸人としてやりたいとの思いは消えてはいなかった。

かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん

全員ホールに集合して全身体操、大きな笑い声が絶えない。

中村 大田市へかえる。

 中村さんは、男三人兄弟の末っ子。
このころ、父親が事故で亡くなった。その後、母が脳梗塞で倒れた。
手足が不自由になり、介護が必要となった。
中村さんが一番自由な身、母の介護のため「かえる」覚悟をした。
実家へ帰ってからバイトもせず、母の介護に専念していた。
ストレスを抱えていた。
相談相手も無く、介護の知識も無く、追い詰めれれていた中村さん。
母に強い言葉をぶつけていた。
そこには、母のせいで芸人の道を捨てたとの思いもあったことだろう。
母のせいだ・・・・・・。親子関係は悪化し、いつしか二人から笑顔が消えていた。

ある日、母の通うデイサービスセンターを訪れた。
母が職員さんを相手に笑っていた。「お母さん、笑えるんだ」 衝撃だった。

介護の職場では、利用者を笑わせることが出来る、自分の20代の笑いを生業とした経験が生かせるのでは?

母との関係悪化は、その後も続いていた。

かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん

地域NO1のデイサービスを目指して!!

中村36歳 プロの介護士になった。

 かじ山荘に来ることになったきっかけは?

快GOツアー」を企画したことだった。
身体に障害のある方たちを大田市へ案内するツアーを企画した。
幼馴染の宮根誠司さんに話を持ちかけた。
宮根さんプロデュース、カリスマ添乗員平田進也さんも加わり、広島から大田市を廻る計画となった。宮根誠司さんと

 

そのとき、車椅子や車椅子が運べる自動車など、快く提供してくれたのが、かじ山荘を経営する(有)ドリームシステムの社長だった。

「快GOツアー」は大成功。 皆さんの笑顔がうれしかった。
(有)ドリームシステムとの縁はつながった。

社長から『かじやま荘を日本一のデイサービスにしてくれないか』 と話があった。
職員には、自身が介護をしていること、経歴など、中村さんのことを詳しく話してある。
それなら、うまくやっていけるだろうと引き受けた。

かじ山荘は、利用率が下降ぎみ、職員にも元気が無く、悪循環な状況にあった。
中村さんのかじ山荘での仕事が始まった。
ミィーティング、あいさつ等、課題は多く、職員さとのコミュニケーションも難しかった。
まずは、大きな声で挨拶から始まった。
試行錯誤、あがきながら今の体制を作り上げてきた。
どのような状況なのかは、ぜひ かじ山荘デイサービスセンターのホームページを見てください。びっくり仰天ですよ。

小学生のあの悪がきたちが大人になったようです、とっても面白い。

 

かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん

中村さんの講演会の様子をYOUTUBEで配信(クリック

中村 講演活動をはじめた。

 母の介護を始めて6年、プロの介護士になって2年、8年の経験をつんだ。
近所の人達から、介護のことについて話してほしいと頼まれた。
最初の講演だった。

まだまだ、介護技術には自信が無かった。これまで8年間の母を介護した経験を基に話をした。 母と自分の関係の悪化についても話した。
中村さんの話に、皆さん共感してくれた。
ここから、講演活動がはじまった。

まだまだ、母との関係修復のアンサーは見つかってはいなかった。

その後、講演活動は仕事の合間に続けてきた。
介護者へのはなし、介護事業者で働く人達、さまざまな場で話をしてきた。
今は「笑う門には いい介護」 と題して話をしている。

さて、アンサーは見つかりましたか?

求めすぎない

  介護者は、じぶんの言うことを聞かせようとしてしまう。自分を押し付け、言うことを聞かないと怒ってしまう。 求めすぎないことが大切だ。

介護ストレスをためない

  といっても、介護者はストレスをためてしまう。今は、さまざまな介護サービスがある。
遠慮せず、利用して自分の介護ストレス解消を同時にやってほしい。

講演始めた事で、母との関係に変化があった。
自分と母の関係を、客観的に見るゆとりを持てるようになった。

ある日、母に伝えた。
「生んでくれて ありがとう」 母の手を握って、初めて言った。
母との関係は、少しずつ修復されていった。

 

中村 家庭では

 バイト先で知り合った女性、中村のイベント事業アシスタントをしてもらっていた。
彼女は、カナダ留学を予定しており、それまでの腰掛バイトだった。
カナダ留学から1年後、大田市に帰ってきた。
その後、中村さんと11歳年下の彼女は結婚し、3人の子供をもうけ家庭を作った。

介護福祉士のほか、合格率0.9パーセントという難関 福祉住環境コーディネーターの資格も取った。
毎朝4時30分に起床、7時過ぎ職場に行くまで「講演ネタ」「かじ山荘の運営計画」など自分の仕事をする。

一番に職場に入り、最後に職場を出る。
常に頭の中は、仕事のことでいっぱい。まだまだ、甘えたい子供たちとの時間を作るため、早朝一人の時間を作っている。

中村 これからは?

 大田に帰ってきて十年近くたったころ、家庭を持ち、介護という仕事につき、仕事も楽しい、母の介護、講演活動も両立し、自分の生活にすばらしい充実感を感じた。39歳のこと。

  • 20代、芸人として経験をつみ
  • 30代、母の介護に悩み、介護を職業にした。試行錯誤だった。
  • 40代、充実感をえて、施設運営と講演活動に励む。
  • 50代、かじ山荘デイサービスセンターを、日本一笑顔があふれた施設にしていきたい。
         職員も利用者にも、充実感を感じて、笑顔になってほしい。

一度、ホームページを見てください。わかりますよ。

 かじ山荘デイサービスセンター(大田市) 施設長 中村学さん

笑顔よりも笑い声!!元気一杯の『かじ山荘』ホームページ

今回掲載の元気企業データ

法人名 有限会社ドリームシステム
かじ山荘 デイサービスセンター
所在地 〒694-0052
島根県大田市久手町波根西1941番10
業務 居宅介護支援事業所
連絡 TEL 0854-84-7158 
FAX 0854-84-7126
ホームページ かじ山荘デイサービスセンター公式サイト

 

2012年10月26日取材・記事  ティーエム21 

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