【連載#02】糸川禮子(いとかわ れいこ)さん
tm-21.comの新企画 「山陰の元気人!」
今回の元気人は、「裂き織り」の楽しさ・喜び・魅力にスッカリ魅せられ、「裂き織り」を通して地域での仲間創り、ボランティア活動に情熱を注ぎ活躍されている女性・糸川禮子さんに「裂き織り」について語ってもらいます。
糸川さんは、ご主人の文具・事務機器販売会社の専務さん、毎日あちこち営業に回っておられますが、その営業先でも、ちょっとでも「織物」の話題にふれようものならモウ大変!!ついつい熱くなってしまうという熱血ウーマンです(笑)
(取材・tm-21.com 宮崎 照)
■Profile 糸川禮子(いとかわ れいこ)さん(S32・3・23生 斐川町出身)
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糸川さんの自信作
まず「裂き織り」ってどんなものですか?
布を5ミリの巾に裂いて横糸として使い、織り込んでいく織物の総称です。使用する布は古布であったり、使わなくなった布など・・・・リサイクルの最たるものではないでしょうか。薄い色の布(Yシャツやシーツなど)は染めて使います。
裂くことは、右脳と左脳のバランスをとり、自律神経への働きが強くストレス解消にもってこい!また、手先のリハビリにもなります。
織り自体、自分の思いや感情を形として表現するのに適していると思います。縦糸さえ機織機に引いてあれば横糸の左右移動のみで単純な動作で作れます。
“上手、下手はない!” “どれもすてき” ”世界中にただ1つ、2度と作れない!” 、今を生きる私たちが“今を織り込んでいく”ことが大切ではないでしょうか。
裂き織りの様子と作品
作品にかける思いは?
裂くときは時代を想い、着ていた人の思いを感じ、糸として変身していく布をどう蘇らせるか胸が躍ります。古布はことさら時代の流れを感じます。同じ絹でも手仕事の時代、戦時中、機械化の時代と。
手紡ぎの着物を手にすると、捨てずに大切に保管してもらい、目にするだけでもありがたいと思う。,それを裂き織りで新生させるときは、本当に裂いていいのか戸惑いますが、生地自体が薄くなっているものが多く、思い切って自分の『風』入れる。
時の流れの重みを知り、次の時代への掛け橋となるのだと夢も膨らみ、感謝であり、『今』生かされていることの幸せを感じるのです。
もののあふれている現代・・・・古くなくてもゴミと化して捨てられている物がたくさんああります。物の大切さを知り、ひとつひとつが“生きている!”。今の時代の『風』と『作り手の想い』を入れる喜び、またどんなふうに『新生』するか楽しみがたくさんで感動です!
是非、思いのある品はリサイクルし、また、捨てようかと思うものを『新生』させてみませんか。喜びと感動の繰り返しですよ。
写真は作品発表会の模様 と 「ほたるの宿」での会員の皆さん
現在の活動状況は?
今年9月から斐川町出西で【ほたるの宿】の講師として活動しております。12年11月斐川町環境フェアーがあり,そのときボランテアで裂き織りのお手伝いをしたのがきっかけで、現在40才代から70才代の会員10数名が楽しんでいらっしゃいます。
ここでは裂き織りをしたり、ケナフを使って裂いた糸を染めたりし、テーブルセンターやカバン・服などを作っています。
また、布はリサイクルステーションに持ち込んでもらいそれを分別して使っています。まだ始まったばかりで手探り状態ですが、会員の皆さん本当に楽しく頑張っておられます。
最初に織るものは、とにかく楽しんで【自分へのプレゼント】を作ってもらいました。何が作りたいかを決めて、色を決めて、織りはじめてもらいました。
みんながス!テ!キ!理屈はあと。1枚織るとどうしたらいいか、どこがおかしいか、なんとなくへん・・・疑問点も自分たちで探して、最初からできる人はいないですよね。次に何か織ってみたいと言う気持ちが大切だと思います。
織ることが好きな人、縫製が得意な人,染が好きな人リサイクルステーションに出された品物を分別する人、裂く人・・・いろいろ仕事があります。みんなのアイデアを取り入れて始まったばかりの【ホヤホヤサークル】の仲間です。
織り機も2台を交代で使い、にぎやかに織ったり、裂いたり、おしゃべりしたり。 12月9日には皆さんの作品発表会をしました。いつまでも【遊び心】を忘れずに、型にはまらず楽しくやっていきたいと思っています.。
織り機は何台か使ってみましたがどうも思うようにならず、鉄工所へ相談して金具の改良、大工さんに頼んでサイズと重量の調整をして、改良に改良をかさねてやっとできあがりました。ひとつひとつ手作りです。(左の写真)
年明け早々には、引きこもり児や自閉症の子供たちと一緒にワークショップをひらきます。その一環として裂き織りをさせていただきます。
母と裂き織り
ここで私の母の紹介をさせていただきます。 母は数年前軽い脳梗塞になり、洋服の脱ぎ着もできず、ふさぎこんで寝ていることが多くなりました。
そんな折に「着物を1枚裂いてみて」と頼むと、家族のものも【リハビリだから、どうせゴミに出そうと思っていたものだから、失敗してもいいわね」と後押しをしてくれました。最初は1人でこそっとしていたようです。
やっていくうちに段々とコツもわかり、絹だったので裂けるときの音もよく、楽しくなったようで1反できると「次、なに裂こうか」なんて言葉も出るようになり、手も動くようになり、今では針仕事や台所に立って料理も畑仕事もとドンドン回復しました。
私の裂き織り横糸は、ほとんど母の裂いたものです。「織ってほしい」ということで着物をそのまま持ってこられれば、解きから母の仕事です。今私の織りは、母なくしてできません。
最後に
私の周りの人たち、いろんな方に助けられ【今の私】があります。たくさんの方にお礼を言いたい。
“わがままな私を今まで支えてくださってありがとうございました。今後も尚いっそうわがままになるかもしれないけど、見捨てず、 よ・ろ・し・く・ネ!”
さあ、今度の土日も、もちろん、心置きなく【織り一色】って感じかな(笑)
2001年12月取材