よろい環境計画事務所 萬井博行所長(鳥取県米子市)【#連載67】
(取材・文章 土山博子)
【今回の元気企業】
よろい環境計画事務所
所長 萬井博行さん(1972年生)
国立米子高専建築科卒
鳥取県米子市日下1239産業技術センター内
TEL:0859-21-0550 FAX:0859-21-0551
mail:yoroi-planing@bridge.ocn.ne.jp
(メール送信時には@を半角に変更してください)
よろい環境計画事務所HP:
http://www.yoroi.info/
いろいろな分野で技術が発展し、人間の生活が豊かになったかに思われる現代。
住宅産業も然り。
山陰でも、規格化された住宅やマンションが多く出回り、その発展には目を見張るものがある。
高嶺の花であるマイホームも、昔より手軽に購入できる時代になった。
でも、家族が毎日生活する住まいだからこそ、考えて欲しい。
「家」が人間にとって、薬になったり、毒になったりすることを・・・。
人を健康にし、家の中のすがすがしい空気を感じられる家。
日当たり、風通し、自然を存分に取り入れた家。
そんな住宅にこだわる「よろい環境計画事務所」所長、萬井博行さんに、お話を伺った。
アトピーの娘さんが元気に・・・自然素材の住宅
三年程前のことだ。
「娘さんのアトピーで悩んでいる家庭の方から、相談をされたんです」
そのご家庭のご主人は転勤族で、古いコンクリートの官舎に住んでいた。食べ物には気をつけていたのに、子どもは喘息とアトピーに苦しんでいたという。
萬井さんは、化学物質を含まない自然素材を使い、健康的に過ごせる住宅であることを重視して、家族の新しい住まいを設計した。
大山が見える素晴らしい環境の中に新築された住まいで、新しい生活が始まってから約半年。
娘さんは驚くほど元気になったという。
「建築材料に含まれる化学物質の、人体への影響はものすごいんだなぁ・・・とあらためて感じました。
それに、子どもは大人よりも影響を受けやすいですからね。
子どもをもっている家庭は家を建てる時に、化学物質を含まない材料をつかった住宅をつくる意識を、持たなければだめだと思うんです」
人に優しい住宅は、地球にも優しい住宅である
今つくられている住宅の9割くらいは規格住宅であるという。
工場でつくられた部品を現場に持ち込み、組み立てる。
それはそれで良い面もあるのだが、自然のサイクルから考えると人体への影響はやはり否めない。
微量であれ化学物質は含むので、いろいろな不具合もでてくる。
「建物を壊した時の産業廃棄物も、昔と比べてはるかに多いんです。
土に返る材料が少ないし、二酸化炭素も多く排出する。
50年後を考えたときに、産業廃棄物が少なくなるような、自然に対する付加が少なくなるような建物をつくっていかなければ・・・地球規模で考える必要があると思うんですね」
気を遣うのは材料だけではない。
間取りはもちろん大切であるし、日当たり、風通しなど、自然の要素を取り入れることもじっくりと考慮する。
「僕の作風は、共通しているという感じではないんです。
環境やお客さんに合わせて設計をします。でも、使う材料や自然の取り入れ方は共通していますね。
それに、《楽しい住宅》、《美しい住宅》、《しっかりとした住宅》、この三点は必ずおさえます」
事務所の名前を〈環境計画事務所〉としたのも、こうした設計作業の形態から由来している。
「やっていることは設計ですが、ものを組み立てるというより、使う人の環境に適したものをつくりたいという意識で仕事をしたいと思っています。
家をつくるというより、環境をつくってあげる。もし建てない方がその人の環境を守ることになるのなら、それもひとつの選択肢です(笑)」
ものづくりが好きだった少年・・・紆余曲折の学生時代
出身が鳥取市である萬井さんは、幼い頃からものをつくることが大好きだった。
ものづくりの勉強ができる学校ということで、米子高専・建築科への進学を決め、中学卒業後、米子にやってきた。
木造4畳半、家賃一万五千円の下宿での自炊生活。トイレ・浴室はもちろん共同である。
「今になって考えると、すごいところでしたね(笑)
十五歳から一人暮らしで、自炊していましたからね。料理は結構得意なんです。
建築をやってなければ料理人になっていたかも(笑)」
だが、入学してから最初の三年間は、自分が思っているような勉強が少なく違和感を感じた。
四年生になっても、そんな思いはぬぐいきれず恩師に相談。
自分が思っているような勉強ができないので、学校をやめようか・・・。
そんな萬井青年に恩師は、「君はまだ若いし、まだ世の中のことも知らない。結論を出すのは早いのでは・・・。」
と、休学を勧めた。
そして一年間休学し、米子市内の設計事務所でアルバイトを始めた。
実際の設計事務所での仕事に触れ、やりがいがあることを実感した萬井さんは、設計に対する情熱を蘇らせる。
「一年間アルバイトをしたんですが、そのまま仕事を続けるより、一旦学校に帰り、必要な知識を身につけてからまた社会にでてこよう・・・。そう思って学校に戻りました」
一年間社会に出て学校に帰ってみると、以前は面白くなかった勉強も、とても意味があるように思えた。
「同じことを習っていても、意味がよくわかる。とてもいい経験になりました」
木造建築との運命の出会い
米子高専を卒業し、松江の設計事務所に就職した萬井さんは、そこで新たな建築の魅力に取り付かれることになる。
昔かたぎで頑固な所長は、とても真面目に木造建築に向き合う人だった。
高専時代には、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の勉強ばかりしていた萬井さんにとって、木造で建物をつくることは、とても新鮮な作業だった。
「三年間、頑固な所長と二人で、楽しくやってたんですけど、頑固なだけに営業能力がなくて・・・。
経営が苦しくなって、やめざるを得なくなったんです」
不本意な退社となったが、この三年間は、萬井さんのその後の進路を決定づけることになる。
「この頃から、自分は木造建築、住宅中心でやりたいと思っていました」
松江の事務所を退社し、また米子に帰ってきた萬井さんは、米子高専休学中にアルバイトをした設計事務所に、籍を置くことになった。
そして、ここでもまた面白い体験をすることになる。
「山陰で、木造建築をやろう・・・」揺るがなかった強い意志
事務所を変わってから二年後、勤務先の事務所が鳥取県立美術館の仕事をすることになった。
この仕事は、建築家・槙文彦氏の事務所との共同設計であった。
槙氏といえば、〈幕張メッセ〉、〈横浜アイランドタワー〉、最近では〈島根県立古代出雲歴史博物館〉を手がけた建築設計界の重鎮である。
そして、この超有名建築家は、学生時代の萬井さんが憧れ続けた人でもあった。
共同設計は、東京の槙事務所で、長期に渡って行われた。
米子の事務所を代表して、憧れの槙氏の元へ向かった萬井さんだったが、槙事務所のレベルの高さに度肝をぬかれる。
所員は、東大や早稲田など有名大学の大学院出身者で、巨匠・槙文彦の目にかなった強者ばかり。
その中に放り込まれながらも、萬井さんは何とかくらいついて頑張った。
「最初は、緊張もしていましたし・・・。とにかく皆さんのレベルが高くて。
この人たちがしゃべっているのは日本語か?・・・と感じたほどでした」
しかし、約二年後、鳥取県知事に就任した片山前知事の意向により、実施設計がほぼ終わっていたのにもか
かわらず、プロジェクトは、あえなく凍結。
米子に帰ることになった萬井さんだったが、そこで槙事務所の副所長に声をかけられた。
「君さえ良ければ、うちに来ないか?」
萬井さんにとって、願ってもない申し出であったに違いない。
しかし。
「何故だかわからないんですけど、すっと断ってしまったんですよね」
学生の頃、あれほど憧れた事務所であったのにもかかわらず、山陰に帰って木造建築をやろう・・・という強い
意志は、萬井さんの中で揺らぐことはなかったのである。
独立から七年・・・自分が設計をやりたいという思いだけでやってきた
29歳の時に独立。
一番初めに手がけたのは、鳥取駅前に建設した、鉄筋コンクリートの学習塾。
その建物が話題となり、自分がやりたかった木造以外の仕事も、多く舞い込むようになった。
それから七年。
「残念ながらまだ、木造住宅メインというわけにはいきませんが、徐々に自分のやりたい仕事が形になり始めています」
現在のオフィスは鳥取県産業技術センターの企業支援室。
大山のふもとにあるとてもすばらしい環境に一目ぼれし、米子市内の事務所から移転した。
「一般の人が住宅をつくる時、手に入る情報は少ない。ハウスメーカーに行くか、ホームページなどで情報収集するか・・・。その中で、特に設計事務所というのは、気軽に相談しにくいイメージですよね」
設計事務所や工務店は、ハウスメーカーなどに比べると認知度も低いし、価格も不明瞭であると思われがちである。
誰かの紹介がなければ敷居が高く、依頼しづらい面は否めない。
「うちの事務所では早い段階で、価格を提示するようにしています。
コストコントロールと現場監理を重視していますので、安心して、気軽に相談してください!
もちろん木造だけではなく、依頼があればなんでもつくりますよ」
自然素材を使い、自然に寄り添って考えられた住宅は、『空気感』が違う、と萬井さんは言う。
すがすがしい空気の中で、思わず深呼吸してしまう感じ。
例えば森林の中で感じるようなそんな気持ちを、日々生活する住まいの中で感じられたら、どんなにいいだろう。
萬井さんのお話を聞いて、そう思った。
それにしても、これまでうまい具合に導かれて進んでこられた感じですよね?
「どうでしょう?(笑)
別の人生の方が良かったかもしれませんね。イバラの人生を選んでしまったかも・・・(笑)
建築設計なんて他の職業から見ると安定したものではないですしね。
でも、世の中の動きがどうとか、やっていけるかどうかとか考えずに、とにかく自分が設計をやりたいという思いだけでやってきた感じです」
いろいろな分野で技術が発展し、一見、人間の生活が豊かになったかに思われる時代。
そんな時代に一石を投じる、山陰住宅設計界の革命児の今後に期待したい。
萬井さんの魅力がつまった『よろい環境計画事務所ホームページ』はコチラ→ http://www.yoroi.info/
「設計事務所は行きづらい・・・」なんて思わずに、気軽に相談してみてください~。
今回掲載の元気企業データ
よろい環境計画事務所
事務所名 | よろい環境計画事務所 |
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所在地 | 鳥取県米子市日下1239産業技術センター |
開業 | 2001年 |
営業 | 建築設計事務所 |
連絡 | TEL 0859-21-0550 FAX 0859-21-0551 |
yoroi-planing@bridge.ocn.ne.jp (メール送信時には@を半角に変更してください) | |
HP | よろい環境計画事務所 |
平成20年1月7日取材