「さんいんキラリ」プロデューサー成相 脩さん(松江市)【#連載69】
(取材・文章 tm-21.com)
【今回の元気企業】
さんいんキラリ
島根県松江市北陵町1番地 テクノアークしまね内
代表 成相 脩さん
さんいんキラリその1
この雑誌を見たことあるだろうか。今年の冬号を書店で手にした。
表紙は安野光雅、かやぶき屋根の民家が点在する山陰の田舎の風景にゆきが降り積もる、やさしくて静かな絵。特集記事は「ふるさとのうどん」なんと美味しそう、見ただけで、うどんが食べたくなるような見事な写真だ、湯気がたまらない。
「淀屋辰五郎」という人物をご存知だろうか。
ビジネスに天才的ひらめきを発揮する豪商にして、土木工学に長けたエキスパート。京都、大阪、山陰の倉吉にその名を刻み、日本中はもとよりアメリカはシカゴ、ベルギーのアントワープに多大な影響を与えた偉人。坂本龍馬が日本の夜明けを目指す150年以上も前、世界に目を向け、日本を再生しよう奔走した凄い男。
これだけ読んでも、面白いでしょう。この豪快な男の一代記、玉井 司の挿絵と写真で楽しく見せてくれる。読み物として面白い。値段は840円、ちょっと高い。立ち読みしていたら、面白いので買って帰った。
山陰の地域情報誌と思っていたらびっくり、この雑誌すごい。山陰の田舎でこんな雑誌創る人たちどんな人たち? 俄然興味がわいてきた。
成相さんという人物その1
春夏秋冬の4回、1回に7000部発刊の「さんいんキラリ」
冷たい雨がたたきつけるような午後、ソフトビジネスパークにある事務所へ成相さんを尋ねた。事務所のドアには「さんいんキラリ冬号」のおいしそうなうどんのポスターが張ってある。
雑誌の編集室と思って行ったところ、雑誌が積んであるわけでもなく、原稿や写真がぶら下がっているでもなく、二人の女性が普通に事務仕事をしており、打ち合わせ中の一組、ごく普通の事務所だ。
大きな声で「いらっしゃい」と声をかけてくれた男性が成相さん。黒いスキニージーンズに白いシャツ、細身の小柄な男性、大きな強い目が印象的だ。
さんいんキラリ冬号を取り出して、「この雑誌すごいですね」 にやりと笑った。
1949年生まれ、還暦という、とてもそうは見えない。事務職を経て、家業の建材業に携わり、山陰の建物やその歴史に興味を持ち、勉強した。また、建築関係者など様々な人たちを集め「建築風土記研究会」を立ち上げた。
研究会では、年間4・5回地元の千家家、籐間家など、すばらしい建物を見学し、参加者は自分の目線での報告書を提出し、一冊にまとめたものを皆さんに配った。これは、今でも私の宝物だという。
活字が好きという。この頃、山陰経済ウィークリーの巻頭に、山陰の建物のコラムがあった。このコラムを成相さんが書いていた。
今から、14年ほど前のこと、さんいんキラリの編集人奥田英範さんとの出会いがあった。建材業は自分のやるべき仕事ではないと感じていた成相さん、この出会いがあって、自分のやりたいこと、やるべきことへの挑戦が始まった。このとき50代になっていた。
さんいんキラリその2
3人でさんいんキラリを発行している、発行編集人 奥田英範、企画担当 成相 脩・矢田睦美の3人。てっきり会社組織と思ったら、まったく個人3人での発行だった。
春夏秋冬の4回、1回に7000部を作っている。これから発売する春号が12冊目、ほとんどが完売しバックナンバーも品切れ状態だ。3人で企画会議をし、もっぱら創ることに専念する発行編集人、取材・撮影などの準備担当の矢田さん、そして成相さんは、私は雑誌を創るため、いろんなアイデアを駆使して事業を組みたて、お金をもうけるんです。
雑誌は1冊840円、完売しても毎回赤字なのだそうだ。確かに、どんなものでもいいものを創るには、沢山のお金がかかる。私おもうに、安くてよいものというものは、あまり無いと思う。安くてそこそこ良いものはありそうだ。
編集人奥田さん、サッカーが大好き。二人が出会って最初に一緒にやった仕事は「山陰にワールドカップのキャンプ地を誘致しよう」だ。おりしも、日韓共催のサッカーワールドカップが行われる頃、山陰の各地を廻り、誘致を提案した。結果は、皆さんご存知の通り、出雲と鳥取にワールドカップチームを呼んだ。
こうして山陰各地を廻るうち、山陰にはすばらしい 人・もの・味がある。米子市出身の編集人奥田さん、松江市出身の成相さん、思いはひとつになった。「東京に出しても負けない雑誌を創ろう。地方だからの妥協はしない」
1冊のキラリを取り出してページをめくった。瀬戸内寂聴の長文のコラムを見せてくれた。これは、瀬戸内氏が、なにか自分に出来ることはないかとの言葉で、出来上がったページだった。ライターの塩見佐恵子さんが、キラリを発行当初から瀬戸内氏に送っていた。それを読んでいた瀬戸内氏からの言葉だった。
「これは、私達の自慢です。東京に負けない雑誌を創れたと思っています。」成相さんは言った。
キラリには表紙の安野画伯をはじめ、著名なかたがたが載っている。どんなコネクションがあるのだろうかと聞いてみた。「愛と友情」そんな答えが帰ってきた???????
編集人奥田さんも成相さんも思い込んだら、突撃あるのみ。どこへでも出かけていきますよ。「愛と友情」のまえに、「熱い想い」がついているようだ。
プロジェクト事業化
雑誌発行のため、様々なプロジェクトを事業化している。
「キラリの家創りませんか」
建築から家具内装にいたるまでキラリがプロデユースする事業、2004年創刊号にこのメッセージを掲載してから、2ヵ月後第1号の依頼が舞い込んだ。この家創りでは、建築家を決定するまでに1年かけ、依頼主と成相さんとの徹底的な話し合いがあった。店舗も手がけており、境港の「美空」 松江市殿町「蔵々」とオープンしている。
「縁の宿北堀」
松江市北堀町お堀端にある、古民家を宿としてよみがえらせ「縁の宿北堀」をオープンした。自分の家のように自由に使え、北堀という場所情緒あふれ、歩いて散策できる立地、話題となった。前島根県知事が都会地の島根県出身者に、Uターンしませんかとお手紙を出す事業があった。その反応は2000件あったという。I・Uターン支援事業の受け皿として、縁の宿を提供した。とまった多くの人たちに喜ばれた。
2号館をオープンしようと計画中だ。広いお屋敷を再生し、ここで結婚式を執り行う。
「NPO日本古民家研究会」
山陰は古民家の宝庫、周りを見渡しても築100年なんてざらにある。空き家になっている古民家を再生し、活用してもらう。これもI・Uターン支援事業の一つ。また、各地に移築する事業だ。新聞でも話題になった、フランスへ古民家を移築する事業もその一つ、そろそろ完成のようだ。
最近では外国からの引き合いが来ているという。エチオピアへ解体した古民家が浜田港から送られる。もちろん、設計士に大工さん皆さんでかけていく、おおきなプロジェクトだ。古民家ブーム・和ブームは世界に広がりを見せているようだ。
このほかにも、中心市街地の空き地活用街づくり事業。サグラダファミリア(バルセロナ)でのウエデイング事業。などなど事業アイデアは次々と出てくる。
成相さんという人物その2
人と同じことはしたくないという。
ゴルフもマージャンもパチンコもしません、人と同じことをしたくないから。
たとえば何をするんです。
そうですね、飛行機に乗ります。
50代になったとき、この先どう生きていこうかと思ったとき、今が助走のときと思った。55歳でさんいんキラリにかかわり、全力疾走を始めた。全力疾走ではあるが、悲壮感はまったくなく、とても余裕だ。仕事を楽しんでいる。頭に中には、アイデアが次々と生まれている。
団塊の世代にはこんな人物が多くいる。人には負けたくない。楽しまなくては人生ではない。オンリー1になりたい。今の若者達に、ぜひ見習ってほしいと思う。
成相さん、次には何を手がけるのかたのしみだ、「さんいんキラリ」を読むと、きっと、ああーこんなこと始めたんだとわかるだろう。春号から、定期購読をすることにした。
平成20年3月19日取材