安部栄四郎記念館、出雲民芸紙 安部信一郎氏(松江市八雲町)【#連載73】

古代より伝わる出雲和紙、その伝統を今に伝える職人・安部信一郎さんを松江市八雲町の工房に訪ねた。

(取材・文章 tm-21.com)

>(財)安部栄四郎記念館 理事長 出雲民芸和紙工房 代表 MATSUE(松江)流の会 会長 安部信一郎さん 

【今回の元気企業】
(財)安部栄四郎記念館 理事長
出雲民芸和紙工房 代表
MATSUE(松江)流の会 会長 

安部信一郎さん
昭和26年7月20日生

〒690-2102
島根県松江市八雲町東岩坂1727
TEL.0852-54-1745

安部栄四郎記念館のURL
http://www.abe.sd.web-sanin.jp/
MATSUE流の会URL 
http://www.matsue.jp/maturyu/

出雲和紙

八雲町へ入ると、広い新しい道路をまっすぐ走る、しばらく行くと安部榮四郎記念館の看板が見えてくる。記念館の手前に自宅と出雲民芸和紙工房がある。
工房の前で、安部さんは数人で作業中、水に漬けた和紙原料の繊維を細かくほぐす作業中だった。

江戸時代末期、八雲村は紙すきの里として栄えた。30戸の紙すき場があったというから、村中で作業をしていたことだろう。現在、安部さん1軒となった。

この地は山間地、田んぼが少なく、また原材料となる三椏(みつまた)、楮(こうぞ)雁皮(がんぴ)が手に入ることから、林業と共に盛んになったようだ。

出雲和紙の歴史は1000年以上前にさかのぼる。正倉院宝物のなかに、出雲の紙があるという。雁皮紙は水にも虫食いにも強く、千年以上持つ紙で、和紙の王様と呼ばれている。すごいものですね。

現代においても、はたして1000年保存が効くものがいくつあるのでしょうね? 私達がデータ保存に使っているCD・MD・写真・フィルム、もつのでしょうかね。
1000年先でないとわからないことですが、えらい先生達がどう残していくか研究しているのでしょうね。
和紙に墨で書いた文書は、燃えない限り必ず残ります。すごいでしょう。
伝統文化の偉大さが少しだけ判る気がします。

安部さんにいただいた名刺、雁皮紙、薄くて張りがあってつややか。なんともきれいな紙だ。私も和紙の名刺紙を使っている。雁皮ではなく、楮のようだ。これはこれで味わいがあり、気に入っているのだが、全く別物だった。

雁皮紙を古来の原料と技法をもちいてすいた祖父 安部榮四郎さんは、人間国宝となった。祖父の存在が、安部さんが家業である紙すきを継承していくことに大きな影響を与えた。

伝統を継承する

(上)安部栄四郎記念館(下)出雲和紙

(上)安部栄四郎記念館
(下)出雲和紙

安部さんは、昭和26年7月20日生まれ、ちょうど、高度成長期に青春時代をすごした。多くの若者は都会へと出て行った。

安部さんは、かなり早い時期から、家業を継承することを決めていた。

都会へのあこがれは無かったのですか。?

大学時代、4年間遊ばせてもらったから、そんな思いは無かったですよ。

きっと、様々な思いや夢はあっただろうが、生まれ育った環境が家業の重さを教えてきたのだろうか。
祖父は人間国宝となり、父親は祖父と同じ時期に若くして亡くなった。
そんなことが重なり、家業継承の思いは強くなった。

和紙の製法は昔からほとんど変わっていない。一部機械化されてはいるが、手仕事で作られている。安部さんの工房では1日に200枚から250枚程度の紙がすかれる。
和紙作りといえば、紙すきを思うが、そこにいたるまでの工程が大変な作業だ。

  1. 木の皮を剥ぎ取り、黒い表皮を包丁でけずり白い皮にする
  2. 白い皮はソーダ灰を入れてやわらかく煮る
  3. 水に漬けてあく抜きをし、皮についているごみをひとつずつ取り除く。
  4. 皮をくだいて繊維にする。
    昔は棒でたたく手打ちだったが、機械化されている。ちょうどお邪魔したときは、このたたいたあとの繊維を、もっと細かく手でほぐしている作業の最中だった。
  5. 紙すき作業
  6. すいた紙を重しでおさえて水分を抜く。1時間おきに重しを操作する。夜もこの作業は1時間おきにやるそうだ。
  7. 乾燥。板に張る天日干し乾燥と蒸気で熱した鉄板に張る火力乾燥がある。

実際目にすると、手間ひまかけた和紙が普通の紙に比べて値段が高いのは当然だろうと思う。いや~伝統文化を守り伝えることの大変さが少しわかる気がする。

お習字を習っている子供たちの数は減っている。学校でも選択授業となった。住宅は和室が減り、障子やふすまの無い家も多くなった、また手紙を書かなくなった。このように和紙を使うことが少なくなっている現状がある。

安部さんはこの時代の変化を重く受け止めている。
しかし、家業を継承し続けているのは、和紙作りという伝統文化を守るという強い意志とプライドだと話す。

新しいこころみ

>(上)出雲民芸和紙工房(中)紙すき作業をする安部信一郎氏(下)和紙作りは、すべて職人の皆さんの丁寧な手作業で

(上)出雲民芸和紙工房
(中)紙すき作業をする安部信一郎氏
(下)和紙作りは、すべて職人の皆さんの丁寧な手作業で

安部さんの自宅は、まるで和紙博物館のようだ。淡いピンクに水玉のような模様の入ったふすま、生成りの白い障子、テーブルにはガラスの下に水色の濃淡、波打った縞模様の紙がひいてある。様々な色がつかわれているのに、古い日本家屋にとても似合って、落ち着いていて、またモダンな感じがする。和紙の魅力だろう。

廊下には白い和紙がならべておいてあった。
日の光にあてると白くなるそうだ。原材料の緑色が少し出ているので、こうしておいてあるそうだ。漂白していない白はとても美しいものだった。

この和紙を障子に張るのは、難しくないですか?
簡単だよ、張るときも強くて腰があるから、とても扱いやすいし、張替えが簡単ですよ。
張替えをするときは、水を障子のさんにつけると、紙ははらりとはがれてくる。

安部さんが巻いた和紙を持ってきた。ひろげてみると、写真が印刷してあった。
私が手に取ったものは、柳の木がかぜになびいている写真だった。
つやつやした写真印画紙とちがい、和紙の印刷はしっとり落ち着いた感じだ。
外からの明かりに向けると、真ん中あたりの明るい色の若葉が、輝いて浮かび上がって見える。新鮮な驚きだった。

安部さんは、和紙の微妙な凹凸が、インクを浸透させ陰影が生まれるという。
何枚かある紙は、手触りが微妙に違っている。
これらは、試作品で写真家と相談しながら、いろいろ試行錯誤しながらすき分けたものだった。

本物は、いま東京の個展会場に並んでいるそうだ。

ちぎり絵や人形など、最近は趣味的な用途が増えている。こういう印刷用紙もあるということだ。紙はそれ自体が完成品の場合は少ない、紙を使って何かを完成させる、原材料のひとつだ。現代人は工夫して何かを作ることが苦手になっている。紙を使った完成品作りにもチャレンジしてきた。

MATSUE流(松江流)の会

(上)安部氏の自宅は歴史を感じさせる古民家(下)自宅二階は貴重な資料展示場

(上)安部氏の自宅は歴史を感じさせる古民家
(下)自宅二階は貴重な資料展示場

9月13日から15日まで、安部さんの自宅でMATSUE流の会が開催された。和紙をはじめ、陶器・漆器・木工・織物他様々な手仕事の作家が一同に集った展示会だ。
平成元年から毎月1回の定例会を開催し、20年になる。

手仕事の職人さんたちのなかには、この会が出来たときからの人もいれば卒業した方もいる。安部さんは2代目会長として尽力している。
時代の変化は、日本の伝統的な手仕事職人さんたちにとって、困難なこととなっている。そこで、異業種の人たちが一同に集まり、知恵を出し合い皆さんに見てもらえるように、手にとってもらえるようにと、20年継続している。

昨今の食の安全・安心、環境問題など、いいもの・いいくらし・ほんものへの関心が高まってきているようだ。一時のブームではない、和文化への回帰が始まっているように思うのは、私だけではないだろう。

和菓子をニューヨークへ発信、ロシア貿易、などなど日本製品を海外へ向けて発信するという話題が聞かれる。
和紙を海外へ向けてはどうですか?
まだ量は少ないですが、現在アメリカのサンタモニカの和紙専門店に出しています、夢はヨーロッパです。

新しい試み、出雲和紙に写真をプリント 和紙独特の風合いと立体感が面白い

新しい試み、出雲和紙に写真をプリント
和紙独特の風合いと立体感が面白い

安部さんはこう続けた。
日本人がもっと日本の文化に目覚めなくてはいけません。
まずはもっと家庭生活の中に伝統工芸を取り入れること。そうすれば、伝統工芸のよさがわかってきます。私達職人も、ながい歴史に培われた技術に、新たなデザイン性をくわえて、ライフスタイルの変化に対応していくべきですね。

安部さんは、安部榮四郎記念館で和紙作り体験教室を開いている。忙しい仕事の合間、子供たちに手仕事の大切さ、面白さを伝えている。

安部さん57歳、そろそろ後継者を育てることも考えなくてはいけない時期だろう。
現在は弟さん、奥様と家族で仕事をしている。
若い男性が作業をしていた。安部さんのところでは、2年から3年、研修生を預かって仕事を教えている。
1000年以上の歴史を持つ出雲紙、安部さんの手によってこれからも後世に伝えられることだろう。

平成20年9月18日取材