子供達のためのカウンセラー 吾郷孝博さん(松江市)【#連載91】

2009年7月1日
個人で不登校児や問題を抱えた子供達のために、カウンセリングをしている人がいると聞いた。復帰率は100パーセント近いという。カウンセラー吾郷孝博さんに話を聞いた。
子供達のためのカウンセラー 吾郷孝博さん(松江市)【#連載91】 

今回の元気人

吾郷 孝博さん(昭和41年12月生)

カウンセラー
〒690-0012 松江市古志原3丁目5-8-403
携帯TEL 090-4695-9135
 

元松江市保育所(園)保護者会連合会顧問

 見た目と話した印象のこれほど違う人も少ないだろう。第一印象はコワアー・・・・・・。

 スキンヘッドに複数つけているピアスがキンキラ、180センチ以上ある上に、たぶん体重は100キロ近く、どしどしと歩く様子は、ちょっと避けて通りたい人だ。

いただいた名刺には、カウンセラーとだけ書いてある。まったく個人でカウンセリングしているという。不登校や引きこもりの人たちは、外へ行くことが苦痛になる、だから訪問してカウンセリングを行っていると、吾郷さんは言う。いわれてみると、その通りだと納得する。

吾郷さんという名前なので、出雲市の出身ですかと聞くと「はい、女房がね」との答え、婿さんですか。

大阪淀川の出身、結婚後松江市で従業員を抱え塗装業を営んでいた。現在、小学校5年生を頭に3人の子供の父親、子供の保育園の役員を引き受けた。そこから、子供達とかかわることが始まっていく。

わが子が保育園で暴れていた。乱暴でたたいたりすることもあり、本気で子供にかかわってみようと思った。「自分の子供は、自分でなんとかしよう」
子供には子供の世界があり、子供の主張は大人の感覚と違っていた。大人目線ではダメだと気がついた。

そんな頃、子供が問題行動があるというので相談を受けた。じゃあ、何とかしようと相談にのった。まだ、カウンセリングという言葉さえ知らないときだった。

吾郷さんという人

 吾郷さんは、昭和41年生まれの43歳、3人の子供を持つ5人家族の普通の父親、でもちょっと見た目が違っていた。

 大阪淀川の出身、中学時代暴れていた。悪さも沢山したという。
 高校生時代はバレーボールに熱中した。180センチを超える身長、卒業時には実業団と大学からのスカウトが来た。「貧乏だったし、早く稼ぎたかった」と実業団へ入った。

 実業団でバレーをやっていたが、トラブルがありバレー部をやめることになった。推薦で入社した以上、部をやめると会社にも居づらくなって退職した。

 「あれましたよ」吾郷さんは言う。目標を失った若者は、荒れるしかなかったかもしれない。その後、色々な仕事をしたという。

「どんな仕事をしたんですか?」

「それは、いえませんよ。まあー、色々ね」 きっとつらい体験も多々あったのだろう。

 その後、島根県で奥様と知り合って結婚、塗装業を起業した。その頃の自分を、傲慢でいやなやつだっただろうと吾郷さんは言う。保育園の役員を引き受け、塗装業のかたわら、問題行動を抱えた親からの相談を受けたりすることで、人とかかわることが多くなった。

 自分の子供の問題行動と本気でかかわり、子供の気持ちがわかるようになった。
子供が素直で元気になったとき、自分も元気になった。
このとき初めて、カウンセリングを本業にしようと決めた。塗装業は閉じた。

子供達のためのカウンセラー 吾郷孝博さん(松江市)【#連載91】

見た目と話した印象のこれほど違う人も少ないだろう。
第一印象はコワぁ~~・・・・・・。

カウンセラー吾郷孝博さん

 「カウンセラーの仕事に資格は必要なのですか?」
特別資格は必要ないという。吾郷さんは、高校卒業後実業団に入ったので、大学はいっていない。本気で子供達とかかわろうと思ったときから、独学で勉強した。

カウンセリングをした親からの紹介で、次々と相談が持ち込まれる。
吾郷さんのカウンセリングは、親子面談から始まる。吾郷さんのカウンセリングには、はずせない流儀がある。「家族全員、兄弟や祖父母を含め、協力してくれないと引き受けない」

取材をしたこの日も、一件相談があり面談をしてきた。しかし、お断りしたという。
子供の問題行動を、人任せで何とかしようという、親の気持ちがダメだという。

不登校など問題を抱えた子供達は、純粋なのだという。色のついていない純粋な子供に色をつけていくのは大人たち、問題を抱えた子供たちは、いつもSOSを発信している。そのことに気付いてあげたいという。

子供と向き合うとき、吾郷さんは地震にたとえるのだそうだ。大地震が起きて家が壊れてしまった。だから、まず土台から作り直していくと子供に説明する。
カウンセリングが進んでいくと、子供の口から、「今は土台が出来たとこかなあ」そんな言葉が出てくるという。

1ヶ月に4回、約2~3時間のカウンセリング、ほぼ半年をかけて子供と向き合う。
学校に行くだけではダメ、教室に戻ることを目標にすすめていく。教室に戻ることが出来たときを、吾郷さんは卒業だという。

そして、子供に教室に戻るというゴールを教え、卒業式をするのだという。そしてはなむけの言葉は「明日からは、ただの友達だよ」

カウンセリングを本業に始めて4年、約30人の子どもたちと向き合った。卒業できたのはほぼ100パーセント、これは、吾郷さんの誇り、そして日々向き合っている。

43歳 そしてこれから

 今、子供が暴れていると電話で夜中に呼び出されることもある。対象者は子供に限らず、幼稚園児から大人の引きこもりの人まで様々だ。

「問題を抱えた人たちと向き合って、自分のテンションをいつも元気に保つことは大変でしょう」と聞いてみた。吾郷さんは、大変だけれど人間同士向き合って話すことは、楽しいですよ。あくまでも前向きだった。

自分自身、子供の頃から色々あったから、体験談として色々な話が出来るからね、と笑った。悪さをしたことも、色々な職業経験も、今の吾郷さんにとっては財産になっているのかもしれない。

今の子供達に何が足りないのかと質問した。「甘え足りていない」との答えだった。

吾郷さんは、松江四中で地域ボランテイアとして登録し、子供達の相談を受けている。
地域の子供達とかかわり、多くの子供達を見守りたいという。古志原に在住し、町を歩いていると、子供達は吾郷さんに声をかける子もいるし、顔をみてにげる子もいる。

吾郷さんは、地域のちょっと怖いが、いろいろ気にかけてくれるおっチャンになりたいという。

そういえば、関西出身の私の周りには、子供の頃おせっかいなおばちゃんや、悪さすると叱られるちょっと怖いおっちゃんが居た。思えば、子供達の周りには、いつも気にかけてくれる大人たちが居て、して良いこと悪いことの、価値判断を教えてくれていたのかも知れない。

地域で子供を育てましょう、などのお題目は無かったけれど、自然に見守る地域文化があった。そして、吾郷さんはそんなおっちゃんになりたいという。

吾郷さんに、家庭の子供達の様子を聞いてみた。小学校5年生の長女は、一緒にお風呂に入って、話をするという。強くて、やさしいお父さんがきっと大好きなのだろう。
 

今回掲載の元気人データ

氏名 吾郷 孝博(あごう たかひろ)さん
住所 〒690-0012 
松江市古志原3丁目5-8-403
生年月 昭和41年12月生
活動内容 個人による児童カウンセラー
連絡 090-4695-9135

 

2009年6月22日取材