GB'sCafe オーナー稲垣 寛(いながき ひろし)さん(松江市)【#連載83】
稲垣 寛さん(昭和48年生)
会社名 有限会社GB’s CAFE
代表取締役 社長
事務所:松江市黒田町442-1
TEL: 0852-22-8585
店舗: 大阪府吹田市千里山東2店舗、大阪市東淀川区、東大阪市小若江、東京都新宿区西早稲田、大阪市北区本庄東、岡山市南方、松江市学園、松江市寺町、金沢市田上、富山市五福、高岡市戸出町、砺波市表町、その他
稲垣 寛 (いながき ひろし)さん
松江生まれの松江育ち、昭和48年生まれの37歳、子供のころの話を聞いた。
高校生、世の中はバンドブーム。稲垣さんも、女の子にもてるかなあ、この時代の男子はみんな、そんな不純な動機で、ギターを手にしていた。
親世代は、バンドなど真面目な学生のやることではないという。
そんな中、稲垣青年はバンドフェスティバル開催をマネジメントした。今でこそ、アマチュアバンドフスティバルは、あちこちで開催しているが、当時高校生が主催してのバンドライヴは、大変なことだっただろう。島根県民会館中ホールで開催した。
このころから、新しいことを創造することに、意欲を持っていたようだ。
バンドのせいかどうかはわからないが、大学入試に失敗し浪人生となった。両親は、松江市内の予備校入学を決めていた。反発した稲垣青年は、家出を決行した。後先考えず、奈良にたどり着いた。
そこからが、GB’s CAFEへのスタートだった。
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浪人~大学~カフェバー
奈良に家出した稲垣さん、天平旅館に転がり込んだ。
旅館のオーナーは、稲垣さんの話を聞いてくれ、知り合いの酒屋さんに紹介してくれ、アルバイトをさせてもらえることになった。
ほんとに、いい時代ですね。
酒屋さんといっても、とても大きな組織で、つぼ八のフランチャイズ店を経営していた。つぼ八では半年店長見習いとして働いた。その後、大阪の本店直営店に移動する。
何も知らない若者にとって、良くも悪くも、ものすごい刺激を受けたと稲垣さんは話した。
飲食業に飛び込んで、「ありがとう」「おいしかった」そんな感謝の言葉がうれしかった。
人から感謝される仕事がヤリタイ、心に残った。
大学に進学した。きっと勉強もたくさんしたことだろう???
大学でサークル活動に励んだ。アウトドアサークル:ヘインズを立ち上げた。
アウトドアですから、みんなで集まってわいわい盛り上がる、そんなサークルだ。
ヘインズはTシャツのヘインズのこと、当時すごくはやっていた。ヘインズのTシャツを着て集まればサークル仲間、そんなアバウトなサークル。
サークル活動の収穫は、奥様と出会ったことだった。関西のいろいろな大学から集まってきた、サークル仲間の一人の女性だった。
22歳、自宅アパートを改装、改装といってもカラーボックスの上に天板を置いて、カウンターバーに改装、ウイスキーをおいて一杯300円でだした。もちろん、友人たちのたまり場になった。
まったくイカガワシイ商売です。良い子はくれぐれもまねしないように。
これが、カフェバーのスタートだった。
22歳、自分が目指す憧れの店に入店した。
このころ、一緒にカフェバーを目指す仲間がいた。彼は、自分の憧れの店に入店し、それぞれ経験をつんでいた。
23歳、いよいよ1号店を出店することになった。
関西大学の前の路地裏、たった5坪の小さな店、たちまち若い子が集まる店になった。
稲垣さんの憧れ、アーリーアメリカンスタイル。
店の前には、アメリカンバイクが集まるようになった。すると、カッコイイ若者が集まる店と、評判になっていった。
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店舗拡大計画
いただいた名刺の裏には、大阪をはじめ、新宿・岡山・金沢などなど、店舗が書いてある。
GB’s CAFEの名前の由来を聞いてみた。
稲垣さんの名前 寛の意味を英語に直すと、ジェネラスとなる。友人の信成さんの信はビリーブ、そのGとBをあわせて、カフェバーG&Bとしてスタートした。
その後、漫才のB&Bみたいだから、GB’s CAFEとした。
関西大学前路地裏の1号店から、関西大学まん前に出店することになった。この新店舗は40坪、以前が5坪、かなりな広さだ。家賃も高く、資金もたくさん必要で、かなり勇気が必要だった。
工務店さんの改装仕事を見ていた。見ているうちに自分で出来るという思いにいたった。
その後の3号店からは、内装からすべて自分で作り上げている。
GB’s CAFEのメニューは、アメリカンスタイル。
当時まだ日本ではめずらしいハワイのロコモコをメニューに出した。
バターライスの上にハンバーグと目玉焼き、デミソースのかかったものがロコモコだ。GB’s風にアレンジした。
そのうえ、アメリカンスタイルですから、量が半端じゃない。とにかく大盛りで、若い子にはたまらんでしょうなあ。
そのほか、オリジナルメニューは、すべて稲垣さんが試行錯誤のうえ作り上げた。
コンセプトは、安くて、ボリュームたっぷり、うまい。
次々と店舗拡大をしていった。
そんなうちに、一緒にやってきた友人と、大喧嘩をした。それぞれの思いの違いからだった。喧嘩別れをしたまま、時間が過ぎていった。
喧嘩別れをした友人にもう一度会いに行った。
お互いの田舎で、もう一度店をやってみないか。
富山と松江でそれぞれにやってみよう。
稲垣さんは、富山に乗り込んで、富山の店の施工を自分でやった。車の中で寝泊りしながらの1ヶ月の作業ののち、松江に帰り学園店をオープンさせた。27歳だった。
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松江へ 家族のこと
稲垣さんは、3人の子供の父、24歳の時サークル活動で知り合った奥様と結婚した。
今は、10歳・7歳・5歳となった3人の子供たち。
子育てに参加できなかったのは、言うまでもない。
ただ、子供ができた時、自分が育った松江で子供たちを育てたい、そんな思いが強かった。
奥様は縁のない松江市に来ての子育て、きっと大変だったことだろう。
稲垣さんは、自分のメニューつくりのとき、必ず奥様に試食してもらっている。「彼女はすばらしいアドバイザーで パートナーです」と言う。家族の支えがあって、今の稲垣さんがある。
子供たちのことは、「尊敬はしてくれていると思いますよ」と、少々歯切れが悪かった。
いえいえ、きっとお父さんのことが大好きですよ。
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店舗拡大計画 その後 (目標 ロスに出店)
松江の学園店は、店の屋根になぜか飛行機が突っ込んでいる。
いつも若い人達でにぎわっている。
現在、全国の店舗には9名の社員が在籍しており、あとは、学生アルバイトさん。
最近のバイトさんは、あまり働きたがらないと言う。
少子化のせいか、仕送りが充実しているのか、よくはわからないが、楽に働きたいということらしい。めんどくさいのかなあ。
若者の車離れ・お酒離れ・ブランド離れ なんてことが話題になっているが、物欲や金銭欲が薄いらしい。これを称して、草食系というのでしょうかね。
なんだか、夢や希望というものも、薄らいでいるのだろうか。
団塊世代のおじさんたちは、エネルギッシュでしたねえ。
さて、話を店舗拡大計画に戻す。
このころから、稲垣さんは迷い始めた。
店舗拡大は膨張しているだけで、人が育っていない、これでいいのだろうか。
スタッフの育成充実を始めた。
現在のスタッフ9人、技術面をバックアップしている。
しっかり育成し、自立して店舗展開してくれることを望んでいる。
いわゆる暖簾わけである。昔から日本には、暖簾わけの文化があった。
しっかり、自分の店で育成し、店主のめがねにかなったものだけが暖簾わけしてもらえる。
その店の、店主の思いが全国展開されていく、すばらしい文化だと思う。
稲垣さんは、そんなスタッフ育成を目指している。
この次の目標は何かと聞いた。
カリフォルニア ロスに店舗を出すこと、アメリカの本場で、GB’sCAFE。壮大な計画だ。
家出からの出発、37歳まで、失敗や挫折もあったことだろう。
しかし、いつも夢を追いかけ、思い続ける。
思い込みの激しい人だ。しかし、思い込まないと、ここまでやってくることは出来なかったことだろう。これも才能のひとつだろうね。
いつも前向きで、愉快な稲垣さん。
GB’s CAFEは稲垣さんの人柄のように、明るく・ポップなお店、若い人達でにぎわっている。
特に、お嬢さんたちが女性同士でゆったりしている。いいですね、女性が多いと、もれなく男性はそのあとについてきますから。