民家カフェ KIMACHI 山花(さんか・松江市宍道町)【#連載76】
水谷 靖(みずたに やすし・S18.12.18生)さん
登美子(とみこ・S23.9.12生)さんご夫妻
民家カフェ KIMACHI 山花(さんか)
〒699-405
松江市宍道町上来待127(来待幼稚園のとなり)
TEL・FAX 0852-66-1838
営業時間 10:00-17:00
営業日 毎週金曜日・土曜日・日曜日
民家カフェ KIMACHI 山花(さんか)
2009年2月10日(火)オープン!!
国道9号線を来待菅原天満宮の方向へ向かって行く。来待小学校と幼稚園の隣、少し高台に赤がわらの普通の民家がある。下で車を止めて歩いてあがると、塀には、「民家カフェ KIMACHI 山花」という、焼き物の看板がかけてあった。
引き戸の玄関を開けると、土間にはタイルがはめ込んである。声をかけたら、奥様 登美子さんの明るい声が迎えてくれた。座敷に上がると、そこは柿渋を塗りこんで、赤くそまったフローリングのお部屋、2部屋を壁もふすまも取り払い、1フロアーの明るい部屋だった。壁際には、まきストーブが赤々と燃えてやさしい暖かさだった。天井は太いはりが重厚で、そしてモダンな落ち着く部屋になっている。
まるで、TV番組「ビフォー・アフター」の匠がデザインしたようだ。
よく見てみると、そこらじゅうに焼き物が使ってある。トイレのドアの取っ手、洗面台の手水鉢、ランプシェード、カウンターテーブルやまきストーブの床や壁、すべてタイルがはめ込まれている。
水谷さんご夫妻は陶芸家、なんとふすまの引き手まで焼いていた。
陶芸家のお二人が、なぜ来待の民家でカフェをオープンすることとなったか、自家焙煎のオーガニックコーヒーと登美子さん手作りのサツマイモのお菓子をいただきながら聞いた。
民家カフェ KIMACHI 山花、
自家焙煎コーヒーと奥様手作りのお菓子
勿論、素敵な器もすべて手作り
奥飛騨慕情
ご夫妻は、奥飛騨からやってきた。岐阜県と富山県の県境、冬には1メートルの積雪があるという。知る人ぞ知る平湯温泉の近くだそうだ。高山市までは車で1時間はかかるという。そんな、奥飛騨で陶芸工房を開いた。
二人は、名古屋の出身。瀬戸市で陶芸の勉強を始めた頃出会った。話してみると同じ中学校に通っていたことがわかった。5歳違うので、当時会うことは無かったが年月を経ての出会いだった。こうゆうのを赤い糸で結ばれているというのではないかな。
結婚後、瀬戸から静岡の御前崎、そして奥飛騨へと。太平洋の波打ち際から、アルプスのふもとへと気温も環境も大違い。奥飛騨に工房を開いて27年住んだ。工房には、新平湯温泉から温泉をひいてあり、温泉で床暖房、そして掛け流しのお風呂は24時間入り放題だという、うらやましい。登美子さん、色が白くてきれいな肌をしている、思わずそういうと、毎朝、起きたら温泉、仕事が終わると温泉、そのせいかなあ。
温泉三昧が27年、積み重ねは大きいよね。
観光客のためのギャラリーを開いた。なにしろ山の中、お客様が食事をしたいといっても、食べるところなし。登美子さんはギャラリーでカフェを開いていた。また、陶芸仲間が集まると、いろりを囲んでの宴会、登美子さんの料理の腕も上がるというものだ。
そんな慣れ親しんだ工房を閉じ、新しい土地へ転居することは気力体力の必要なことと思う。60代にして新天地はきつくないだろうか。水谷さんは言う。「この年になると、ハラハラドキドキが少なくなるでしょう。それはつまらないのです。新しい挑戦がしたかった。」登美子さんは、ずっと同じ場所に住んでいると飽きてくる。新しい場所を探していたのだと言う。
60代のご夫婦、同じ価値観と方向性を持って生きている方は少ないのではと思ってしまった。二人とも、少年少女のような心を持ち続けているのだろう。
3年間空き家だった民家を夫婦二人で見事に改装した店内
そして島根
登美子さんは、地図を広げて新しい場所を探していた。和歌山県、四国、色々な地域を見て歩いたそうだ。インターネットで見つけた「島根定住財団の田舎ぐらしモニターツアー」に参加した。2007年10月のこと、4泊5日松江市近郊での農業体験、縁にしの宿にも泊まったそうだ。このとき、松江市の空き家になっている民家を見て歩いた。そのときは、今の来待の民家は見なかった。ちなみに、松江市には1400件の空き家があるそうだ。
12月になって、松江市から「いい家が見つかりました」と連絡があった。奥飛騨から650キロ、何回通ったことでしょうね。
2008年4月契約を済ませた。
二人の希望は里山の民家ぐらし、今までの工房は仕事中心の工場のような建物、普通の民家に住みたかった。
海辺と山間地に暮らして、今度は里山に住みたかった。
水谷さんは、里山には日本独特の文化があるという。戦前の日本の暮らしが今も残っているという。戦後アメリカ文化が入ってきて、日本は高度成長を続け現在に至る。その間、日本独特の文化は少しづつ消えかけている。白か黒、イエスかノー、どちらかに決められその中間の曖昧さがなくなりつつある。曖昧さこそ日本独自の精神性と水谷さんは言う。
この条件に、島根の里山はピタリとはまった。確かに、言語不明瞭・意味不明といわれた出雲人、日本で一番有名でない県、日本のよさが最後まで残るところかも知れない。日本に現存する神話のほとんどが、出雲の国の神話という土地ですからね。
水谷さんのテーマが「生命」だ。作品作りも生き方も「いのち」。
廃れようとする里山、日本文化の原点で自分に出来ることで何とか活性化したい。そんな思いもあって、この地で新たな挑戦を始めた。
さすが、芸術家の言うことは違うとなあ、多くは語らない水谷さんの言葉に、フンフンと納得し目からうろこの心境だった。
そこらじゅうにお洒落な焼き物が使ってある
すべて水谷さんの作品
山花(さんか)
2008年夏、ご夫妻はやってきた。3年間空き家の民家は土台がシロアリに喰われていた、土台からの改装、夫婦二人での大仕事が始まった。10月には住民票を移し本格的な大工仕事だった。水谷さんは、やりがいがありシアワセな苦労と表現した。自分の夢を実現する苦労は、シアワセでしょうとね。
市役所、島根大学生、多くの人たちをまきこんで8ケ月、改装工事は終了した。
この民家カフェにはサブタイトルがある「里山で静かにゆったり深呼吸」、座敷に座って庭からの眺めは、低い生垣の向こうに小山と民家、この日は雪景色、生垣にかくれて道路も車も見えない、深呼吸したくなるような景色だった。
ところで、なぜ山花(さんか)なのですか? この字を見ると、普通は山茶花(さざんか)という文字を思いますが、「さんか」とつけた意味はあるのですか?
この言葉には深い意味があった。
「さんか」という、定住をしない山の民がいたことをご存知だろうか。
狩猟、竹細工などを生業とし、山から山へと渡り歩いた民族、はるか縄文の時代から昭和初期頃まで現存したという。
独自の文化、独自の言葉や文字を使い、手先が器用で風貌は男性は凛々しく、女性は美人だったという。
水谷さんは、「さんか」の人たちのように、自分達もあちこち移り住み、自由に創作活動をして、この地にやってきた。「さんか」にちなんで、でもそのままの字を使うことはおこがましいので、山花と書いたそうだ。
さて、2月10日オープンのカフェ、ガテマラ・ペルーのオーガニックコーヒー豆を自家焙煎したコーヒー、いただくと柔らかな苦味、酸味は少なく優しい味だった。手作りのお菓子やケーキをだす。この日いただいたのは、サツマイモとレーズンのお団子、蒸したものと揚げたもの、シナモンとレーズンの酸味がきいて美味しい。来待は水が美味しく、また野菜やお米も美味しいと絶賛だった。
ランチもその日の食材にあわせて、出すそうだ。
登美子さんのこだわりは、健康、体に良い食事を今までもこれからも作っていく。どうりで、ご夫婦二人ともメタボとは無縁、とってもスリムです。
大きないろりがあり、このいろりを囲んで美味しいお酒を飲みたいと思いませんか。一組限定、8人程度のお客様を受けるらしいですよ。
もちろん、使う器はご夫妻の手作り、まだほとんどを奥飛騨に置いたまま、少しずつ運んでくるようだ。母屋の裏には蔵、山、畑がある。きっと、水谷さんは山に入り、畑を耕し、そしてやがて自分の窯を作り上げるのかも知れませんね。
来待幼稚園の隣、普通の民家です。足をはこんで美味しいコーヒーと水谷さんご夫婦とお話してみませんか?
きっと、目からうろこの体験が出来ますよ。
洗面台の手水鉢、便所のタイル、ドアの取っ手
今回掲載の元気企業データ
店舗名 | 民家カフェ KIMACHI 山花(さんか) |
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所在地 | 699-405 松江市宍道町上来待127 (来待幼稚園のとなり) |
代表 | 水谷 靖、水谷 登美子 |
設立 | 2009(平成21)年2月10日開店 |
業務 | 民家カフェ、陶芸工房 |
連絡 | TEL・FAX 0852-66-1838 |
ホームページ | *** |
平成21年1月26日取材