板倉酒造 天穏の新杜氏に就任した岡田唯寛さん(出雲市)【#連載84】
岡田 唯寛(おかだ ただひろ)さん
昭和52年12月3日生(33才)
会社名 板倉酒造有限会社
清酒・天穏 杜氏
島根県出雲市塩冶町468番地
TEL (0853)21-0434
FAX (0853)21-3593
ホームページ http://www.tenon.jp/
板倉酒造 天穏(てんおん)
出雲市塩冶町、昔からの家並みが続く通りに、板倉酒造がある。
いいお天気のこの日、白い漆喰壁、赤がわら、天穏の文字が大きく書かれた煙突、入り口には大きな杉玉、重厚な蔵つくりの建物は、存在感十分だ。
通りは樹齢30年以上はあろうかという、桜並木が続く。
岡田唯寛さんは、板倉酒造の蔵人で、冬場は蔵に住み込み酒造りに携わっている。造りが終わって静かになった蔵の中を案内してもらった。
板倉酒造は創業明治4年、代を重ね酒造りの歴史は140年近くになるという。歴史ある蔵は、昔から受け継がれ、最初に目に入ったのは大きなお釜、直径2メートルはあろうか、今でも現役、大きなお釜に湯を沸かし、少しずつ手作業で洗ったお米を蒸していく。
二階へ上がる階段は一間の広いもの、大勢の人が蒸した米を担いであがるためだろうか。黒光りし、磨り減った角が年月を物語る。階段も床も柱もすべて黒く光っている。毎年、柿渋を塗りこめている。防腐効果のためだそうだ。酒蔵では、天然素材を使用する。酵母菌や乳酸菌を扱うため、先人の知恵を今も受け継いでいる。
麹を作る製麹室へ入った。杉の木の香が心地よい。
麹菌のついた蒸米を広げる大きな木箱、木の香はこれだった。古いものは、数十年前から使用されており、箱の角が磨り減っている。部屋の壁には、黄色い電熱線がめぐらされており、この配線で室温を上げるそうだ。
ホウロウ製の大きなタンク、今この春搾ったお酒が入って静かに熟成している。
お酒を搾る槽(ふね)、これも昔ながらの搾りかた。手間隙かけて、伝統を受け継ぎ、蔵の中は重厚な時間と独特な香りが漂っている。
「天穏(てんおん)」という名は、どこからつけたのですか?
日蓮宗の経文から抜粋して命名されたそうで、天が穏やかにありますように、天地の平安を祈る言葉ということだった。
板倉酒造 天穏 本社・工場
杜氏室 兼 試験室で熱くかたる岡田さん。
出雲杜氏 岡田唯寛さん
岡田さん、昭和52年12月3日うまれ、33歳、出雲市大津町で生まれた。
高校生のころ、朝日新聞社発刊の世界中の先住民の暮らしや文化を紹介する本と出合った。
「おもしろい」と思った。たったそれだけの理由で大学進学先を筑波大文化人類学科を選んだ。初めは何県にあるかさえも知らなかった。
どんな勉強をしたのか? 話を聞いてもよくわからない。
まあ、勉強はおもしろかったそうだ。しかし、それ以上に遊ぶことがおもしろかった。
でも、途中リタイアせず4年で卒業したのだから、立派です。
このころは、今ほどじゃないにしても就職難の時代、就職しないといけないなとは思っていたが,何もせず就活はしたことがないという。
結局、バイトでためた貯金を持って、半年サンフランシスコにいた。
はああ、何が先住民の暮らしと文化ですか? どっぷり遊んでいた。
帰ってきてから、教員免許を取得しようと考えた。通信教育で勉強した。
普通、筑波大文化人類学なんてところに在籍したら、教員免許は在学中に取得しているものでしょうね。でも、通信教育と考えて、とってしまうところがすごい。集中力があるのだろうと想像する。
教員採用試験はそう簡単ではない。
浜田市の教育委員会から連絡があり、温泉津の山の中の小学校へ講師として赴任した。2年生を担任し教員生活が始まった。
その年の6月、歓迎会があった。
そのとき出合ってしまった。「純米 無濾過生原酒」 開春のお酒だった。
教員生活のかたわら、日本酒の本を色々と読み始めた。
その年の年末、二泊三日で開春の酒蔵へ体験に行った。
二泊三日で何がわかるわけでもないが、とにかく楽しかった。
であったその日に一目ぼれ、こんなかんじなのだろうか。
翌年3月末で教員を退職した。お母さんは、仏壇の前で泣いていたという。
お酒のできるまでの話を聞きながらの蔵見学はとても興味深い。
事前に申し込めば、誰でも蔵見学はOK。ぜひお出かけ下さい!
出雲杜氏
日本酒のルーツは出雲にありといわれる。
出雲地方は、日本海を挟んで中国大陸に面し、古代から黒潮にのって、さまざまな文化や技術そして人的交流があった。稲作文化が大陸から伝わり、日本酒作りも農耕文化とともに伝わり、日本で黄麹菌を使用した独自の日本酒に変化したといわれている。
古事記や日本書紀の神代巻の半分は、出雲地方の神話で占められている。
出雲地方は古代より大陸文化を取り入れ、優れた産業が発達し、古代出雲帝国と呼ばれる一大勢力圏を作っていたとみられる。
出雲神話「やまたのおろち」のお話には、須佐之男命が出雲の国で「八塩の酒(やしおりのさけ)」を造り、大蛇を酔わせて退治した。大蛇の尾から出た太刀は「天叢雲剣」として、皇位継承三種の神器のひとつとなっている。この八塩の酒は非常に高度な技術で醸造し、濃醇な酒とつたえられる。日本で最初にお酒の話が出てくる神話である。ここから、出雲は日本酒のルーツといわれる。
旧暦10月、出雲の国は神有月。「出雲国風土記」には、佐香に神々が集まり、調理場を建て、酒を造り、半年にわたり酒宴を開いたという記述がある。佐香は佐香神社(松尾神社)のことで、現在も10月13日どぶろくを造り、神事が行われている、酒の神様なのだ。
出雲杜氏とは、もともと平田や秋鹿地方より出た杜氏集団の総称で、その起源ははっきりしないが、今から百数十年以上前といわれている。一子相伝で継承された技術を、組織を創り広めて行ったという。出雲杜氏は全国に出かけ酒つくりをし、その名を残している。
数千年の酒造りの歴史ある出雲地方、濃醇な酒造りの文化の流れを感じる。
杜氏の酒造りは12月から3月、仕込が始まると24時間体制で泊り込み作業にあたる。
2時間おきに起きて麹やもろみの温度管理をするという。
搾るまでは緊張の連続、岡田さんは怖いと言った。
この春、岡田さんが、生酛造り初挑戦で醸した【生酛・無濾過純米生原酒】
深い味わいと旨味が広がる。ラベルもとてもインパクトがある。
蔵人としての挑戦
板倉酒造の蔵人は5人でお酒を作っている。長崎杜氏の指揮のもと、12月から3月末まで、仕込から搾りまで、泊り込みで作業が続く。
今の時期は、火入れ作業がおわり、静かに眠っている。順次ビン詰め作業がはじまる。
火入れと聞くと、ええー火にかけるの?
65度程度に熱することで、酒を殺菌し、劣化と変質を止めることを火入れというそうだ。
日本酒には、大吟醸・吟醸・純米といろいろあるが、岡田さんが持ってきたビンのラベルには、「無濾過」「生酛」という、聞きなれないラベルが張ってあった。
無濾過は文字どおり、フィルターで濾過せず、搾った酒を静かにおいておくと、滓が下に沈み、その上澄みを酒としてくみ出すこと2回、これが無濾過のお酒だ。
何が違うのかと聞くと、フィルター濾過をすることで、お酒本来のうまみが削られるという。きっととても微妙なものなのだろう。私の舌で違いがわかるかどうかは、疑問だが、手間隙かけることで、本来のうまみを100パーセント生かし、ありのままを味わってもらいたいという思いからだそうだ。
江戸時代まで酒造りの主流は、生酛造りであった。明治以降、現在の乳酸添加の製法に移行していった。生酛造りとは、酒母を培養するとき、仕込み水に出来合いの乳酸を添加せず、蔵の中にいる天然乳酸菌による乳酸をまず作らせてから酵母の増殖を促す微生物の自然淘汰のシステムを取り入れた製法のことを言う。
そういえば、宮尾登美子の小説「蔵」にそんな話が出てきたことを思い出す。
しかし、天然の乳酸菌といっても、目に見えるわけでもなし、ほんとに発酵してくれるか、心配なことだろう。岡田さんは、蔵の一隅にビニールで囲った小さな部屋を造り、そこで生酛造りに挑戦した。
日本酒の永い歴史のなかで完成された造り方、現代に受け継いでいきたいという思いからの挑戦だった。
生酛はグリーンのビンにはいって、真っ赤なラベルが張ってある。きもとという書家の書いた文字、その上に英語が重なっている。
グリーンに赤、モダンで斬新なデザインに目が止まる。
ラベルのデザインも、蔵人のお仕事、酒造りの時期以外は、こうしたデザインやチラシつくり、お酒の研究に没頭している。
二階の麹室にて。
お笑い99の岡田に良く似ている。(笑)
若き杜氏
この6月、長崎杜氏から岡田杜氏へと世代交代がなされた。
現在出雲杜氏は30人弱、少しずつではあるが20代から40代の若い世代が増えてきている。
次代を背負う若者が育っている。
岡田さんも、生酛に挑戦のとき、酒母の様子を写メールに撮り、仲間に送り相談していたそうだ。
仲間でありよきライバルたち、偉大な先輩や仲間に支えられ若き杜氏は蔵を背負って進んでいく。
まるで、お酒だけの生活に見えるが、普段は普通のいまどきの若者で、造りのない時期の休日はもっぱら山登りや自転車遊びだ。
日本酒も毎日は飲まない、ビールもワインもすきという。
笑うととってもかわいいのに、酒造りの話になると、目が鋭くなり職人の顔になった。
いいおとこ・・・・だね。
今回掲載の元気企業データ
法人名 | 板倉酒造 有限会社 銘柄名 : 天穏 |
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所在地 | 〒693-0021 島根県出雲市塩冶町468番地 |
氏名 | 代表取締役 板倉靖雄 |
業務 | 清酒製造・販売 |
連絡 | TEL (0853)21-0434 FAX (0853)21-3593 |
ホームページ | http://www.tenon.jp/ |
2010年6月4日取材