【連載#08】小島一文(こじま かずふみ)さん
「釣りは少年の心で……」 そして 「すべての向上は人との出会いにある」
趣味は、とにかく釣り! おそらく祖先は狩猟民族か・・・。
もの心がつくと魚とりに没頭小学にあがると宍道湖、日本海の釣りへ・・・中学・高校・大学は野球に明け暮れる帰郷し本格的に釣り再開グレ・チヌのフカセ釣りからマダイ・ヒラマサのカゴ釣りまで磯釣りなら何でもこなす。最近夏場はアユ釣りを取り組む。釣行範囲は西日本全域に広がるが、近場の小川や宍道湖の釣りも真剣に取り組む。水たまりがあれば、そこに釣糸をたれたくなるほどだという、根っからの釣りキチ。
(写真:G杯グレ釣り選手権全国3位:愛媛県中泊)
名 前 : 小島一文(こじま かずふみ)
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●釣りトーナメント受賞歴
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写真下:G杯 グレ釣り選手権 決勝戦(3位)
■釣り雑誌に連載
魚釣りは面白い。「こんな面白いものを知らずに、あの世にいってしまう人が何人もいるなんて…」それを哀れに思ってしまうほど釣りは面白い。こんな面白いものを自分だけの楽しみにしていたのではもったいない。老若男女だれでもが楽しめる。こんな面白いものならたくさんの人に知ってもらって楽しんでほしい。
そんな思いで平成9年4月から5年間、山陰地方の釣り情報雑誌「月刊山陰の釣り」の連載に取り組んできた。タイトルは「小島一文のG1フィッシング」。
平成14年5月で終了するまで61回の原稿を書き上げた。たくさんの人の協力や激励に支えながら楽しく続けているうちに、いつのまにか私のライフスタイルに溶け込んで、この取り組みが掛け替えのない財産になった。たくさんの人との出会いはいつも新鮮で楽しい。何かがどんどん芽生えてくるような気がしてならない。この連載のおかげで全国各地のたくさんの人と出会うことが出来た。
■何がそんなに面白い
釣りの最大の魅力は何か。それは「常に少年の心にさせてくれる」ところにある。大人になると知らず知らずのうちに日々現実の生活に追われていくもの。人はいつの間にかドキドキ、ワクワクする気持ちをなくしていくものだ。でも、釣りはそんな私たちに夢を与えてくれる。今までにゴルフや野球、スキーにギャンブルなど、考えられる遊びは何かと熱心に取り組んできた。
そして最後に残ったのが釣りだった。何度行っても、どんなにたくさん釣っても、どんな大物を釣っても、どこへ何を釣りに行くにも、釣りに行く前の晩はドキドキ、ワクワクしてくる。ちょうど子どもの頃、遠足の前の晩にドキドキ、ワクワクして眠れなかったあの気持ちである。リュックサックの中のおやつを、何度も何度も出しては仕舞いしたあの気持ちだ。
また、アウトドアで取り組めるのがいい。人は自然と融合することで癒されると私は考えている。きれいな水、豊かな森林、澄み切った空気、時として出会う野生動物たち。本来、人として持っていなければならない潜在的なものがそこにはある。生きるという本能をかきたてられるというか、右脳が活発に作動して、たくさんの空想やイメージが膨らんで楽しくなってくる。普段たまったストレスがいっぺんに吹き飛んでしまうのだ。普段仕事などで左脳をたくさん使った分、ここでバランスを整えておかないと頭がおかしくなりそうだ。
■「G1」というタイトル
競馬にG1レースというのがあるが、G1とは等級を表すもの。つまり「グレード・ワン」最高の等級を言っている。そこで、私が釣りで考えているG1というのは、人それぞれの釣りに対する価値観のこと。
自然が相手の釣りでは、釣行時に二度と同じ条件はないはず。確かに記録級の大物を釣った。数を大漁したという結果は称賛に値するかもしれない。しかし、その時その時の自然条件に応じてどのような過程があったのか。むしろそのプロセスが重要だと考えるのである。
その時、わずか20cmにも満たない魚しか釣れなかったとしても、その人のレベルで、その時、その条件下で最善を尽くした結果ならば、それが最高に称賛されるに値するG1(グレード・ワン)な釣果であったはず。それを評価できる価値観をいつも持っていることが大切なのだ。釣りは漁ではなくて趣味の域なのだから、たとえ釣果が無くても何かそこには得るものがあるはずである。
今、年々魚が釣れなくなったと言われる。資源が少なくなったとも言われる。自然破壊、環境汚染、温暖化、異常気象だとも…。だからこそ結果よりもプロセス・過程が大切なのだ。そこに価値観を置くことが釣りをより楽しく奥深いものにしていけるのだと思う。そしてこの考え方は、釣りのみならず、すべてのことに通ずるのではないかと考えている。
■釣りトーナメントへの挑戦
私は釣りをすることで人生をより豊かなものにしていけると信じている。それは前述した「G1」の価値観的考え方にいえることであるが、具体的な取り組みとして、たくさんあるジャンルの中から、磯釣りのグレ(学名メジナ、山陰地方ではクロとも言う)、チヌ(学名クロダイ)の釣りトーナメントに取り組んでいる。これは釣り具メーカーなどが主催する本格的な釣り競技のことであるが、魚種、規定サイズ、規定匹数や限定された場所や時間などを一定のルール化して行うものである。
例えばあるグレ釣りトーナメントでは、相手の選手と同じ磯にあがり、1時間ハーフタイムの合計2時間で25cm以上のグレの総重量で勝敗を決する。
山陰地方の釣り人にはまだまだなじみの薄い釣りトーナメントではあるが、これがまた面白い。やればやるほど奥が深く、行き付くところがない。たかが2時間ほどの釣り競技時間の中には驚くほどの濃い内容が詰まっている。ただでも面白い釣りに加えて、その釣りを通して、ある一定の付加価値をつけながら他の釣り人と競うわけであるから、私の負けず嫌いな性格も手伝ってワクワク・ドキドキしないはずがない。そしてここでも新しい人との出会いが生れる。トーナメント会場となる全国各地の釣り場を経験するのも釣りの幅を広げ、新しい釣りイメージを広げるものだ。
「釣り天狗」といわれるように、身近な釣り場だけで釣っていると、ついつい視野が狭くなり「井の中の蛙」になってしまいがちだ。それが全国各地、広い地域の人たちと出会うことで、どんどん人間としての器が大きくなっていくような気がするのだ。そのきっかけを作ってくれる釣りトーナメントは、時間と金をたくさん使うことになるが、人生の豊かさを求めているわけだから、「投資」していると思えば惜しいなんて思わない。 多くの釣りトーナメントは、中国地方の予選を勝ち上がらなくては全国大会へ駒を進めることが出来ないわけだが、山陰地方でも徐々にその魅力に目覚めてたくさんの人が取り組み出している。私の元へも興味を持った釣り人たちが徐々に集まってきている。
■釣りクラブの結成
そんな、釣りトーナメントに取り組む仲間たちと1997年9月に「G1トーナメントクラブ」を発足した。名前だけ聞くとかなりの腕自慢たちが集結した集団に思われているようであるが、そんなことはない。中には、今すぐにでも全国大会へ出場し上位をうかがえるような実力者もいるが、全体的には初級者が多い。
山陰地方の釣り人には、釣りトーナメントなどの大会には、ある程度の釣り技術を持っていないと出場できないのだと思い込んでいる人も多い。しかし、実際は意欲さえあればだれでも出場できる。要は取り組む姿勢であり、釣りトーナメントへ出場したいという思いが、すなわちその人の素質であって、まずはその気持ちを持つこと、次にその気持ちを行動にうつすことが大切なことだ。釣り技術はそれから徐々に楽しみながら、ワクワク、ドキドキしながら身につけていけばよい。
そしてクラブとして行動するのは、情報収集や情報交換、技術交流、大会出場や遠征時の負担軽減などメリットも多い。特に規約や制限はなく、人としてのマナーやモラルを持っていればOK。他の釣りクラブとの重複加入や使用タックルメーカーの特定など一切制限していない。要は本人のやる気と自主性である。
長男・大知君(小学2年) 隠岐西ノ島
■釣りキチ2世誕生
今年4月に釣りの連載記事を降りてからは、のんびりとプライベート釣行が増えた。そこで今年4月から小学校が完全週休2日制になったことを利用して、小学2年生の息子を釣りに誘い出すことに成功した。近くの川や宍道湖などの釣りは、すでに日常的に取り組んでいるので、ここは連休を利用して本格的な隠岐の磯釣りに連れて行った。
隠岐への釣行は、深夜、高速渡船が島根県美保関町七類港から出港する。所用時間は約1時間30分。私も船酔いには強い方でないから、息子が船酔いしないかが一番の心配だったが、少々の揺れも何のその熟睡しながら目的地に着いた。隠岐での日程は過酷だ。
1日目の早朝に目的の磯に上陸。そのまま磯で野宿(磯泊り)をしながら延々と魚を釣る。2日目の昼過ぎに迎えの船が来て、夕方、七類港へ帰港する。1泊2日の行程は約30時間あまりを磯で過ごすことになる。
小学2年生では、磯釣り自体はまだ独りでは出来ないから、私がほうり込んだ仕掛けをそのまま竿を持たしてやったり、魚がかかったのを確認してその引きを体験させてやったり、大物の取り込みをタモですくう役目を任せたり、息子はなんでも真剣に取り組んだ。私も楽しい。あまり釣れなくなると、今度は磯に付着した貝を採ったり、ワカメをとったり、カニやフナ虫とたわむれたり、ほったらかしておいても自分で自然での遊びを見つけ出していった。
夜は携帯用のガスコンロをセットして、昼間、息子が採った貝を雑炊にしたり、ワカメを味噌汁にしたりして食べた。普段の生活では味わえない最高のごちそうだ。息子も「うまいね」と顔をほころばせる。「連れて来て良かった」。そして家に帰ると「次はいつ行くの」と息子が言う。4月、5月の2ヶ月間にすでに3度の隠岐釣行を経験した。妻も釣りキチ2世誕生を歓迎してくれた。
■気になる大人たちの価値観と今の教育
隠岐の磯釣りに小学2年生の子どもを同行させたことを知ったほとんどの大人は「なんて危ないことを…」と思うに違いない。事実私も、息子が途中で弱音を吐くのではないかと心配していたが、そんな心配をよそに、なんとも平然とやってのけたのである。途中、「帰りたい」とか「寒い」とか「つまらん」とか言うのをある程度は覚悟していたが、これも一度も口にすることはなかった。これには正直私自身が驚き、息子の意外な面を知らされたような気がした。
日本ほど大人が子どもに向かって「危ないことをしてはいけません」という禁止の言葉を頻繁に使っている国はないと思う。「危ないから川に行ってはいけません」「危ないからあれはいけません、これはいけません」と、とにかく子ども達が何か好奇心を持って体験しようとするものを今の大人たちはすべて「危ない」という理由でその機会を奪っているのではないか。
ある小学校のPTAが、その町の教育委員会に通学路である川沿いの道路に防護柵を設けてほしいという要望を提出した。早々に、その要望が受け入れられて川には防護策が設置された。結果として子どもたちは、どこからも川の中へ下りることが出来なくなったのである。川に落ちたら危ないという理由で設けられた柵は、子どもたちの自然に親しむ機会を奪ったのである。要望した親たち、その要望を聞き入れた行政。どこか間違っているような気がしてならない。なぜ川は危ないのか、どうしたら危なくないのか、どうしたら楽しく川で遊べるのか、天候によってはどうなのか、それを教えるのが教育ではないのか。
日本の子どもたちや青年は、確かに受験勉強を勝ち抜く術は知っているかもしれないが、世界どこでも生き抜いて行ける術をまったく知らない。世界での日本の若者たちの実力のなさは歴然である。あらゆる意味で「体験不足」なのだ。今、多くの大人たちにとってアウトドアのほとんどが「危ないもの」として見えているのではないか。面白い遊びというものは危ないものだ。
危なくない遊びは面白くない。危ない遊びをしつつ、自分の判断や技術で事故を回避するというのがアウトドアの醍醐味ではないか。私は息子を釣りに連れて行って本当に良かったと思う。そしてこれからもどんどんアウトドアを体験してほしい。そのための応援をしてやりたいと思う。
釣り人がリーダーになってほしい・環境問題
■釣り人がリーダーになってほしい・環境問題
ごみの問題について「釣り人はマナーが悪い」とよく言われているが、私は特にはそうわ思わない。むしろマナーが悪い人、モラルがない人が釣りをやっているだけのこと。別に釣り人に限ったことではない。町のいたるところでゴミが捨てられ、大きな社会問題となっている。青少年の非行など子どもの教育問題が大きくクローズアップされているが、模範を示すべき大人のモラルがここまで低下したのでは、これも無理はなかろう。
宍道湖周辺クリーンキャンペーンに参加した時のことである。「ゴミ捨て禁止」の看板の根元に一番多く家庭ゴミが捨てられている現象をどう見るのか。情けなく、悲しくなるばかりだが、「いけないこと」と分かっていて捨ててしまう心理はどうしたものか。このままでは今のままの自然環境は到底維持していけない。どうしたらいいのか。せめて自然の恵みや恩恵を得て楽しんでいる私たちが危機感を持って取り組まなければならない。
それは日々の生活の小さな取り組みが大切ではないだろうか。まずは心の取り組み。自分が釣りが出来て、釣果があって、楽しめることを当たり前だと思うのではなく。自然やおさかなさんに感謝の気持ちを持つこと。この感謝の気持ちをいつも忘れずに持ち続けていれば、決してゴミなど捨てられないはずだ。
たばこを吸う人ならいつも携帯用の灰皿を持ち歩くのも当然のこと。そしてこれは釣り場だけではない。日々の生活の中でも取り組んでいかなくては意味がない。自分の周りの出来事はすべてに通じているのだから、毎日毎日の積み重ねが大切である。
そしてその取り組みの中で「ああー、あの人は自然を楽しむ釣りをする人だから、マナーがいい人なんだ」と、社会の中で信頼される人になろう。それが自然環境を守るリーダーシップだと思う。大きな声を張り上げて環境問題を訴えるのではなく、だれにでも出来る自分自身の実践こそが大きな力となっていくのだと思う。
とにかく釣りは面白い
「釣りは少年の心で……」そして「すべての向上は人との出会いにある」
2002年7月取材