「大橋館」の若だんなジェームス フィティセマヌさん(松江市)【#連載82】
(取材・文章 tm-21.com)
【今回の元気人】
松江しんじ湖温泉
小泉八雲ゆかりの宿 大橋館
ジェームス フィティセマヌさん(32歳)
(JAMES FITISEMANU)
〒690-0843 島根県松江市末次本町40
TEL 0852-21-5168
FAX 0852-25-3485
HP http://www.ohashikan.jp/
ジェームスさん32歳
ジャパンブルー(藍)の、作務衣の上着、きれいな日本語そして笑顔で迎えてくれたジェームスさん、大橋館の看板娘ならぬ、看板若だんなだ。
大橋館は、創業129年という老舗旅館、ロビーから眺める大橋の眺め、そして小庭の老松はロビー側から眺めると、枝が網の目のように細かく広がり、幹は苔がついて長年大切に守られてきたことが、しのばれる。来客を出迎えるジェームスさん、とっても自然体で老舗旅館になじんでいた。
子供の頃の話を聞いた。米国ワシントン州で生まれたジェームスさん、5歳でお父さんのふるさとサモア(当時は東サモアといった)に移り18歳まで過ごした。
お父さんは、事業を手広く経営し多忙をきわめていた。そんなせいか、ジェームス少年は、おじいちゃん、おばあちゃんの家で育った。
1980年代始めの頃、時代は大きく変化しようとしていた。若者の価値観と祖父母世代の価値観や文化は、大きく様変わりしていく。日本でも同様だったと思う。
おばあちゃんの教育は厳しかった。人様に迷惑をかけてはいけない。とくに、お行儀には厳しかった。
こどもですから、ほしいものはいっぱいある。本を買うことも、映画を見に行くことも、おこづかいがほしければ、お手伝いをしなくてはいけなかった。
農場でのお手伝い、養豚の手伝いもした。豚のえさやり、ケージの掃除、豚ちゃんは清潔にしてあげないと、病気になってしまうから大変だ。12歳で、農場で働く作業員さんたちを、車で送迎していたというから、笑ってしまった。当時サモワでは、子供でも運転していたらしい。もちろん、今はそんなことはない。
学校へ行く前と、帰ったあとのお仕事だった。
不満は無かったのと、聞いてみた。「友達は遊びに行っているときに、自分はお手伝い、いやだったよ」子供なら、当然の気持ちだ。しかしジェームス少年は、小さい頃からのおばあちゃんの厳しいしつけ、学校でははじけていたが、おうちでは、とってもいい子と使い分けていた。
松江大橋のたもとにたつ大橋館。宿から宍道湖・大橋川の眺望は水都松江にふさわしく、風情たっぷり。
サモアの文化
創業129年という老舗旅館の小庭の老松
サモアでは「マタイ」という、伝統文化がある。
一族の中の男性から、家長を選ぶ文化だ。いわば一族の長老としてみんなをまとめる存在だ。
ジェームス少年、妹が二人の長男、男の子として人として、立派な大人に育てようと、おばあちゃんは厳しくしたのだろう。今になってみれば、ジェームスさんは感謝している。立派な大人になりました。
サモアでは長男が家を継ぐというきまりではないらしい。
男女の役割も、日本とはずいぶんと違う。料理をするのは男性のお仕事、作った料理は、両親と子供たちが始めに食べる。最後に男性が食べるそうだ。狩猟をして、料理をするのが男性のお仕事、そんな伝統文化があるそうだ。聞いてみないとわからないものだ。日本の主婦から見れば、ウラヤマシイかぎりだ。
サモア人は世界一、ハッピーピープルだという。いつでも、どこでも、どんなときでも、歌い踊る。
ジェームスさん、我が家でもいつも歌い踊っているらしい。サモアに、家族で里帰りしたとき、奥様は、サモワの皆さん、明るくイキイキした様子に、ジェームスとみんな一緒だったと、驚いたらしい。
ハワイから日本そして松江へ
小泉八雲ゆかりの宿の説明看板
ハワイの大学へと進学したジェームスさん、奥様順子さんと出会った。大学を卒業したあとも、そのままハワイに残った。もちろん、順子さんと離れたくない想いだった。そして、数年間ハワイと日本の遠距離恋愛が始まった。
日本語もまったくわからないまま、東京に来た。日本語学校で勉強を始めた。
順子さんの両親にご挨拶をしたが、日本語がままならないため、気持ちも伝わらない。当然、国際結婚には反対された。それから9ヵ月後、二人の気持ちが伝わりOKが出た。
松江に来て6年、流暢な日本語、接客する姿は旅館の若だんなだ。順子さんとの出会いから10年たった。
サモアのおばあちゃんは、結婚にあたって「めいわくをかけないように、がんばりなさい」そんな言葉をかけてくれた。毎週1回はおばあちゃんに電話をする、やさしいジェームスさん。いつも最後は、がんばりなさいの言葉だそうだ。親心は日本もサモアも世界中一緒なんだね。
大橋館とジェームスさん
お食事処 松翠亭
大橋館のパンフレットには英文が書いてある。大橋川に面した入り口横には、小泉八雲ゆかりの宿の説明看板、そこにも英文が入っている。
「一番大切なことは、大橋館ののれんをまもること」とジェームスさんは言う。作務衣にげたばきで日本旅館の雰囲気を味わってもらおうとの思いから、作務衣は色違いを何種類も作ってこだわっている。げたばきは、動きづらいのでやめたそうだ。
「お客様に楽しんでもらえる接客が、私の仕事」ジェームスさんの世界一ハッピーピープルの血が騒ぐ。お客様のお部屋をまわり、たのしいジョークで場を盛り上げていく。出雲弁もフル活用して。
お客様だけではなく、従業員さんたちもジェームスさんの明るい人柄に元気をもらっている。
大橋館の看板を背負っている、そんな自負が感じられる。ジェームスさんの努力のたまものだろう。
忙しい毎日をおくるジェームスさん、お休みもなかなかとれない。また、外国人のジェームスさんに対する評価も厳しいものがあると想像する。
「ストレスはいっぱいあるでしょう」
「仕事のストレスはありませんよ。たいした苦労はしてません」
松江周辺の旅館や異業種連携を呼びかけている。良いと思うことは即実行、しかし新しいこと、違ったことをしようとすると、足を引っ張る松江の風土も事実だ。
ジェームスさんは、地元のファンや応援してくれる人たちに支えられ、プレッシャーをエネルギーにかえてがんばっている。
一人息子デンゼル君、もうすぐ2歳。抱き上げるジェームスさん父親の顔になった。一番の癒しは、家族だ。テンゼル君は大橋館で過ごす時間が多い。お部屋のいけばな、掛け軸のあつらえなど、お仕事について歩く。とっても好きらしい。みんなが忙しい時間も、泣き声をあげることも無く、おとなしく待っている。
にこにこ、そんな話をしてくれた。大きな目にながーいまつげ、かわいいデンゼル君にめろめろだ。
最初にお会いしたとき「私の話は、面白くないよ。私にあるのは愛だけだからね」そんなことを言ったジェームスさん。
サモワの伝統文化とおばあちゃん、ハワイの暮らし、そして日本の伝統ともいえる旅館、様々な伝統文化を自分のものとしたジェームスさん、大きな愛で家族と大橋館と共に生きていく。
松江のよさ、日本の伝統文化にもっとプライドをもって、好きになりましょうよ。そんなふうに言われた気がした。
2008(平成20)年5月19日取材