ヴァイオリニスト 藤原才知さん(松江市)【#連載93】
藤原才知(ふじわら さち)さん
ヴァイオリニスト
松江市南田町177-3
TEL 090-1187-4977
メール mt_fuji【@】ms3.megaegg.ne.jp
※ 送信の際は、【@】を半角@に書き換えて下さい。
ホームページ(ブログ)
音と人とのコラボな生活
ヴァイオリン
大阪平野区出身、5歳からピアノそして11歳からヴァイオリンを習い始めた。小さい頃から音楽教育を学ぶという家庭環境にあった藤原さん、高校生の頃には音楽大学へ進学することは、自然なことだった。音大ではヴァイオリンを専攻した。
卒業後は、まさにバブル絶頂期の時代だった。パーティー・結婚式・レストランなどで生バンドの演奏がおこなわれ、様々な場所とシチュエーションでの演奏をした。宝塚歌劇場でも舞台のオケピで演奏したそうだ。そのほか、オーケストラのエキストラでの演奏などなど、大阪で活動していた。どうやって、そんなに色々な仕事の、営業活動していたか疑問に思ったが、関西室内楽協会など、いくつかの団体に所属し、そこからの紹介だったり、仲間や先輩たちから声がかかったりし、仕事をしていた。さすが、都会ですね、演奏者も多いことから、いわば音楽家の派遣事業みたいな組織がありました。
もちろん、自宅や教室、出張レッスンなどの先生家業、中学・高校での非常勤講師の経験もあるそうだ。いやー、音楽というもので生計を立てるのは難しいかと思ったら、とんでもない、色々なお仕事があるものだと知った。
藤原さんは、ヴァイオリン一筋の生活かと思いきや、そんなことはないと本人は言う。
「私は、音大の劣等性でしたから、結構好きなことをして遊びましたよ」そして、そのことが、今の自分に、ヴァイオリニストとして、役に立っていると言った。
隣町のケーブルテレビでの撮影風景。
松江出身のスタイリストの友達が受け持つレギュラー番組にゲスト参加。
フランスへ
プチ遊学と藤原さんは言う。ヨーロッパへ2ヶ月、フランスを中心に色々回った。ヨーロッパは、街中でいつも音楽のある都市が多い。音楽家として学ぶことも多かっただろう。また、女性はヨーロッパファッションには、とても関心があるところだ。2ヶ月はきっとわくわくどきどきの時間だったことだろう。
プチ遊学で藤原さんが見つけたものは、音楽でもファッションでもなく、夫だった。
帰りのチケットを持って入ったフランスの空港、2ヶ月ではフランス語も不安で、たまたま見かけた日本人男性に声をかけた。「このチケット、この便でいいかなあ」同じ便だった。
その男性が夫となった。まるで、ドラマの1シーンのような話でしょう。
その後、結婚し夫の仕事で札幌に2年、それから島根にやってきた。その間、ヴァイオリンはと聞くと、現地の知り合いの音楽家や、地元の楽器店の紹介で仕事を続けた。自分でチラシを作っての活動をした。どうやら、家でおとなしくしているのは、気性に合わないらしく、いつも何か行動していないといけないらしい。確かにお話をしている間も、よくしゃべり、よく笑う。ホンマに、大阪のおばちゃんだった。いえいえ、見た目は違いますよ、セレブ奥さま風ですから。しゃべらなければね・・・・・・。
保育所や幼稚園でのコンサートは、子供たちと歌ったり、踊ったり、いっしょになって音楽を楽しむので演奏側も、たくさんの元気をもらうことができる。
2度目フランスへ
40歳の頃、夫が仕事で1年フランスへ行くことになった。即決、家族でフランスへ、
小4と幼稚園年長の息子2人、幼稚園生はともかく、小4となると、中学進学、中1ギャップなどという不安もあり、少しは考えると思われるが、即決する藤原さん。あくまでも前向きな藤原さん的な思考だなあと、なんとなく納得した。
息子たちは、現地の小学校へ入学、言葉の問題や文化の違いなど戸惑うことが多かったに違いない。藤原さんは、息子に付き添って学校に通ったという。
1年が過ぎ、夫は帰国することになった。藤原さんは息子2人と一緒にもう1年フランスの残ることを決めた。当然、夫は反対する、心配ですからね。
子供たちにとっても、藤原さんにとっても1年は中途半端だった。子供たちのことも、自分自身のためにも、そして音楽家としての自分にとっても、もう1年という時間が必要だった。
フランスの学校事情について、聞いてみた。たとえば、音楽の授業はとても少ないという。意外だった、ヨーロッパのイメージは、音楽や芸術に関して、とても充実しているので、当然学校教育でも充実しているだろうと、想像していた。
以外にも、幼稚園や学校にピアノがないところがほとんどのようだった。幼稚園の息子が通っていた地元の音楽教室のソルフェージュテキストを見せてもらった。音符が書いてあるが、音符に笑った顔や、寂しそうな顔、怒ったような顔のキャラクターが書いてある。
日本人は、様々な事柄を言葉で理解するが、キャラクターと音で理解するという文化の違いが面白い。考えてみると、ユニバーサルデザインというものもヨーロッパから伝わった。言葉がわからなくでも、その表示で理解できる実に便利なもの、このことが、教育にも生かされているのだとわかった。
40歳という年齢、そして異文化にどっぷりつかってすごした2年間、藤原さんの考え方、生き方に変化をもたらした。
四川出身の友人との国際交流ユニット「こんにち輪」で主催した「四川大地震チャリティーコンサート」の様子。
音楽家の友人はじめ、多くの方に協力してもらった、貴重なコンサート。
島根県に帰って
日本の学校音楽教育は、とてもレベルが高いと藤原さんは言う。子供たちは、誰でも
楽譜を見て、リコーダーを吹いて、子供たちの多くはピアノ教室に通っている。そんな国は少ないようだ。
島根に帰ってきて、音楽指導を再開した。音大出身の藤原さんは、それまで技術を教えることを指導してきた。フランスから帰って、これまでの指導に疑問を持つようになった。技術はもちろん必要だが、それより、その生徒さんの、弾きたい音を引き出してあげる。楽しむことが大切なことだと、思うようになった。音楽に対しての姿勢が変わり始めたのだ。
今は、ほとんどが大人に指導している。そして、教えることがとっても楽しいと話してくれた。こんな先生に指導してもらったら、きっと生徒さんも楽しいことだろう。
これが噂の『くーちゃん』
あまり可愛いとは言い難いけど、「オシャレなくーちゃん、決めポーズ!」
さて、『くーちゃん』は?
『くーちゃん』は、テディーベアーだ。こげ茶色の熊さん。藤原さんは、熊さんの着ぐるみ
を着て、その上にステージ衣装をきて『くーちゃん』になる。そして、ヴァイオリン演奏活動をしている。当然、子供たちは大喜びだ。
昨年、中国で四川大地震が起き大きな災害となった。後の『くーちゃんバンド』は、城東公民館・彩雲堂さんの2階茶席でチャリティーコンサートを開催し、たくさんの方に協力いただき、聞いてもらうことができた。
『くーちゃんバンド』の活動で、音楽を通じて人と人がつながることに、とっても感動した。自分のこれからのライフワークとしていきたいと、夢を語ってくれた。
どんなに小さな会場でも、少人数でも、音楽でひと時を共有する。そんな活動をしていくため、『くーちゃんバンド』の情報発信をして、活動を広げていきたい。
明るくて、よく笑う、藤原さん。気負うことなく、少しずつ歩みを進めている。ピアノとヴァイオリン、二人でどこへでも出かけていく。少しずつ輪が広がっているようだ。
今回掲載の元気人データ
氏名 | 藤原才知(ふじわら さち) |
---|---|
所在地 | 島根県松江市南田町177-3 |
愛称 | くーちゃん |
お仕事 | ヴァイオリニスト |
連絡 | 090-1187-4977 |
ブログ | http://blog.goo.ne.jp/gouter2008 音と人とのコラボな生活 |
2009年11月4日取材