安達 恵子(あだち けいこ・島根県松江市)さん 【連載#50】
【今回の元気人】 「踊り屋・舞夢」代表
安達惠子(あだちけいこ)さん
全国で爆発的に人気となっている「よさこい踊り」。
元は高知のローカルなお祭りに過ぎなかったが、ここ山陰でも各地に踊りのチームが発足するなど、近年益々盛んになっている。
山陰では先駆者的な存在である安達惠子さんに、その魅力と自身の踊りへ情熱を聞いてみた。
(取材・文章 多々納 健一)
各地のお祭りに引っ張りだこ
↑よさこい踊りのチーム「踊り屋・舞夢」
昨年は年間25回。
島根県内外の各地で行われるお祭りで“よさこい”を披露するのは、安達惠子さん率いる「踊り屋・舞夢(マイム)」だ。
「田舎の小さなお祭りを盛り上げたい」
安達さんの願いは、今無くなりつつある地域の祭りを盛り上げることで、若い人達にもその大切さを見直してもらうこと。その願いが通じ、今や各地のお祭りから引っ張りだこ。お祭りシーズンはほぼ毎週踊りっぱなしの状態らしい。
今年で6年目を迎える「舞夢」も、発足当初は苦労の連続だった。
「最初に声かけをしたのは10人。でも実際、練習に来てくれたのは4人でした。初めての本番ではお客さん達の認識もなく、呆気にとられていたようです」と、当時を振り返る。
しかし、その“賑やかし”が話題を呼び、各地の祭りに呼ばれるようになった。
「最近では「マツケンサンバ」などにも挑戦しました」と、そのバリエーションは多彩。中には、安達さんたちのパフォーマンスを毎年心待ちにしている人もいる。
踊り続けの人生
週2回の練習は毎回すごい熱気があふれている
踊り指導の傍ら、旦那さんが松江市内で営む郷土料理のお店「一隆」にも顔を出すなど多忙な安達さん。いつから踊っていたかを聞いてみると、
「物心付いた時には踊っていました。幼稚園のお遊戯なんかで踊るときも、とにかく楽しかった」
幼少の頃から踊ることが身体に染み付いていたのだ。
そんな安達さんが本格的に習い始めたのが高校生の頃。その後、モダンバレエ、ジャズダンスとバリエーションを広げる過程で、山陰中央新報が主催する文化教室の講師となり、安達さんの踊りに対する情熱は益々充実する。
大ブームとなったジャズダンス。講師として多忙の日々を送る中、“よさこい”が安達さんの心に突き刺さる。しかし、実際にそれと関わるのに、二年の時を費やすこととなる。
「よさこい」との出会い
各地のお祭りに引っ張りだこ
「こんな踊りがあるんだ」
何気なく見ていたニュースの特集で取上げられていたのは、当時全国に拡がりつつあった高知のよさこい祭り。そこで目に止まったのが“SUGA”の文字だった。「よさこい=SUGA」が気になりつつも、全く手掛かりがないまま月日が流れる。そして、踊りの事が述べられている本『踊れ』を読んで、その謎が解けた。
安達さんが気になっていた「SUGA」とは、高知から全国へ「よさこい踊り」の普及に尽力している國友須賀(くにともすが)さんの事だったのだ。しかし、それが分かったからと言ってその人に会える訳でもないのが世の常。普通ならそこまでのはずなのだが、“踊りの神”は安達さんを見捨てなかった。
きっかけは「仁多乃炎太鼓」。演目の一つに踊りを取り入れる企画が持ち上がった。その打ち合わせが進む中、踊りの振り付けを「國友須賀さん」に乞う事になったのだ。およそ二年間気になっていた人物との出会い。それが叶うことになった瞬間だった。
そして、何度も仁多まで来ることのできない國友さんの下に安達さんが通い、仁多のメンバーには安達さんが指導することになった。
魅せる
「踊り屋・舞夢」
高知へ通うこと30回余。ビデオを送ってもらったりするなど、國友須賀さんの下で「よさこい」を学んだ安達さん。やっていくうちに、
「島根で一人のものにしておくのはもったいない。一人でも多くの人達と踊りたい」
その思いが、よさこい踊りのチーム「踊り屋・舞夢」の誕生に繋がった。その後は広島フラワーフェスティバルにも常連として参加するなど、県内はもちろん全国を飛び回る。
次第に生徒の数も増え、今では40人が安達さんのレッスンを受ける。安達さんが常に生徒さんへ呼びかけるのが、
「素人とは言え、気持ちはいつもプロ。人前で踊るときは素人もプロも関係ない。どうせやるなら、「素人にしては・・・」と思ってもらえるような踊りを魅せたい」である。
「身体が動き続ける限り踊り続けます。「よさこい」にこだわることなく、人に感動を与えるものならなんでも挑戦します」
何事にも挑戦する“踊り屋”安達惠子さんは踊り続ける。
よさこいに興味のある方は、安達さんに直接お電話を。
- 携帯:090-2007-1719
- 練習日:毎週火、日
- 松江市総合体育館 19:00~
(平成18年3月取材)