ブラジルでバイク三昧の日々を過ごす米沢健さん(島根県出身)【#連載67】
ブラジルに骨を埋めたい
(取材・文章 門脇さおり from ブラジル)
【今回の元気人】
米沢 健さん(46歳、出雲市出身、ブラジル在住)
バイクショップ『レッドバロン・ブラジル』の整備士。世界を股にかけた技術屋が、ラテンアメリカを駆け巡る。
米沢健さん(46)は、はにかみながらも、凛としてこう言った。
山陰地方では鳥取市賀露町、米子市淀江町、松江市東津田町にあるバイクショップ『レッドバロン』。
その本部(愛知県岡崎市)から、インターナショナルFC店『レッドバロン・ブラジル』で現地メカニックへの技術指導を命ぜられ、2004年11月、渡伯した。
20年以上の経験を持ち、バイク整備技術で右に出るものはいない。
さらに、昨年のブラジル・トライアル選手権では堂々の総合ランキング2位に輝いた。
公私ともにバイク三昧の日々を過ごす米沢さんに、二輪の魅力と異国で働くことの厳しさ、今後の抱負などを聞いた。
バイクとの出会い
(写真上)インターナショナルFC店『レッドバロン・ブラジル』前にて
(写真下)整備工場で働くブラジル人たちと米沢さん(後列中央)
米沢さんは出雲市に生まれ、幼少時に松江市外中原へと引っ越した。
地元の小・中学校を卒業、米子高専を3年で修了した19歳の春、地元・島根の自動車販売会社に就職を決めた。
翌年には結婚。
米沢さんがバイクにのめり込んだのは、ちょうどこの頃。
理由を訊くと、「自転車と違って、こがなくていいからね。ボク、横着者だから」と笑う。
しかし、楽をしようと跨ったバイクが、こんなにも魅力的なものだとは想像もつかなかった。
「本当に、おもしろくて仕方なかった。ウマが合ったって感じかな」。
米沢さんはバイクのトライアル競技に夢中になった。
5年後、自動車販売会社を辞め、二輪販売会社に入社、さらにバイク熱に拍車がかかった。
しかし、転職から3年の月日が経ったある日、米沢さんは会社を退社、旅支度を始めた。
それは、「男のロマン」を求めるさすらいの旅といっても、過言ではなかった。
技術屋、世界を転々と
1990年7月――。
当時29歳、精悍な若者だった米沢さんは、妻子を日本に残し、JICAの海外青年協力隊の自動車整備士・二輪担当として2年間、アフリカはマラウイに派遣された。
世界最貧国の一つで平均寿命は40歳にも満たない国について、
「アフリカ大陸を九州に例えたら、マラウイは宮崎の山奥辺りになるんだよ」
と位置関係を説明する米沢さん。
マラウイ派遣の直後、今度はボツワナへ、同じくJICAの短期派遣で2ヶ月間滞在、整備士として海外青年隊を送り出す案件の事前調査をしたという。
93年、任務を終えて帰国。
すぐさま、株式会社レッドバロンに就職を決め、第一技術部に配属された。
長期的視野で海外のフランチャイズ店の現地スタッフを指導する必要性を認めた同社が、米沢さんの経験を買ったのだ。
その頃、独り身になった米沢さんは、3ヶ月の社内研修の後、再び世界を転々とする生活が始まった。
海外技術指導者として、オーストラリア・シドニー近郊に6ヶ月、ニュージーランド・オークランドに3ヶ月、香港に1年、ドイツ・デュッセルドルフに3ヶ月、イギリス・ロンドンに6ヶ月、ギリシャ・アテネに3ヶ月、再びニュージーランドに9ヶ月、ハンガリー・ブタペストに3年。
そして、2004年11月から赴任しているブラジル・サンパウロは早くも3年目に突入――。
「ブラジルに来た途端に、『ここだ!』って思った。理由は分からないけど波調が合うんだよね」。
世界を股にかけた技術屋は、南米の大地を“終の棲家”にしようと心を固めた。
試行錯誤の日々
ブラジル人整備士にバイクの“いろは”を細かく指導
『レッドバロン・ブラジル』は1993年、サンパウロ市ヴィラ・オリンピア区にオープン、2005年8月、ジャルジン・ダ・サウーデ区の目抜き通りに移転した。現在の従業員数は本部からの出向2人、現地スタッフ12人の計14人だ。
緑の芝生と真紅のトレードマークのコントラストが眩しい外観。
広々としたショールームには重厚な造りのクルーザータイプ、スピード感溢れるスポーツタイプ、カマキリのような形をしたトライアル競技用バイクが整然と並べられている。
米沢さんは派手なショールームの裏に併設された整備工場にいた。
ブラジル人スタッフとの会話は、もちろんポルトガル語。
難しい専門用語を要する場合は通訳に日系人スタッフを呼ぶが、それ以外は自らポルトガル語でコミュニケーションするよう努めている。
その国にあった教え方、システム作りが難しい―
緑の自然に囲まれたレース場でスペイン人選手と談笑
=米沢さん提供=
米沢さんはいう。
ブラジルでは一般的に、自動車やバイクの整備工場の労働者は、貧しい家庭に育った人が多い。
義務教育を途中で諦めた人が大半を占めるため、スタッフの基礎学力に問題を見い出すこともある。
「足し算はできるけど引き算ができないスタッフに、どうやってメカの仕組みを教えるか」。
レッドバロンの整備職に就いては辞めて行く従業員の中から、「本当にバイクが好きなヤツ」を見抜き、育てていくことが米沢さんの使命だ。
ブラジルののんびりした風潮も時に仕事の邪魔になる。
「ドイツ人は何に対しても『なぜ?』と、原因や理由を探求していく。でも、ブラジル人は『私は何をすればいい?』と訊いて、言われたことだけをやるだけで、自発的に動かない」と漏らす。
ラテンの気楽な考え方は、悪く言えば、「他人任せで自ら責任をとろうとしない」ことにつながるのだ。
店舗で米沢さんは、あまり客前に出ないようにしている。
顧客が技術面に関する質問をしたら、まず、現地スタッフが対応するように教育しているという。
「最初からボクが答えを出さないようにしている。彼らが答えを自分で見つけることが大切だし、それが彼らの自信にもつながる」。
いつかナンバーワンに
2006年7月のトライアル第3戦では見事1位に輝いた(中央)
=米沢さん提供=
仕事熱心な米沢さんは、休日の過ごし方を訊ねると、「もっぱらトライアル競技の練習」と即答した。
同時に、口下手な整備士の表情がパッと明るくなり、少年のように瞳を輝かせ始めた。
米沢さんは2006年のブラジル・トライアル選手権で総合2位の実力派。
ブラジルでのトライアル競技は歴史が浅く、90年代以降に盛り上がってきた。
年間8戦に及ぶ選手権は、サンパウロやリオ・デ・ジャネイロ、ミナス・ジェライス州の州都、ベロ・オリゾンテなど大都市近郊の大自然の中で繰り広げられる。
米沢さんがライバル視するブラジル人は弱冠24歳、ベテラン・ライダーとしては、どうしても負けていられない。
つい、「ランキングで1位になりたい!」と鼻息を荒げてしまう。
では、今後のブラジルでの課題は――?
この質問を投げかけると、米沢さんの顔がきりっと引き締まった。
「店の知名度を上げ、しっかりしたものに確立させたい。潜在的な顧客はいっぱいいる」と断言する。
「現在の店舗の客層は中流階級より上だけど、もっと層を広げるためには何が必要か。お客様の利便性が高い商品、サービスは何だろうって考えている」。
整備士としてだけではなく、営業面にも興味を持ち始めた米沢さん。夢は、「いつかブラジルで、リオのような他の都市に2号店をつくること」と力強く抱負を語ってくれた。
故郷・島根を後にしてブラジルに辿り着いた米沢さんが、あらゆる意味でナンバーワンになる日はすぐそこまで来ている。そんな予感をせずにはいられなかった。
店舗紹介
店名 |
『RED BARON BRASIL』 |
所在地 |
Av. Prof. Abra?・o de Moraes Jd. da Sa?・de - S?・o Paulo - SP |
電話番号 |
11-5584-5874 |
営業時間 |
月~金 10:00~20:00 土 10:00~16:00 |
平成19年1月6日取材